ボク__3_

ボクはまだ言語化する能力が足りない

最近つくづく自分の言語化する能力がまだまだ乏しいんではないかと思う。
ヒトにものを伝える時にどうしても言葉足らずになってしまう状況に陥る。
ボクの意図したことが伝わらなかった時に歯痒い思いをしたことは何度もある。

また、口に出さなくてもその場の雰囲気や状況を察知して自分が何をしないといけないかを考えさせられる立場や状況下に身を投じることが多かったために知らないうちに「暗黙の了解」を行っていたことも多かった。

しかし、ヒトにボクの思いや考えを伝えたい時には相手の理解できる言葉で、なおかつ噛み砕いたニュアンスで伝えようとする意識がないと相手も聞く耳を持たないか、持っていても理解できず意図した行動を遂行できなくなることを知っている。

だからこそ、自分の言葉一言一言を発する前に脳内をグルングルンかき回しながら、その場その場で伝わる言葉遣いや伝え方を模索している...

最近、ふとヒトに指摘された「言葉」がすごく気になってしまっている...
その指摘された言葉というのは「なんか〇〇なんだよね〜」という様に
「なんか」という前置きをすごくつけてしまっている点において、
テレビ局時代のバイト先の社員さんから言われたその一言に今でも
「今、ボクまたなんかって言ってしまった」っていう様に気になってしまっている。

自分でも正直無意識的に使っているこの「なんか」という言葉は
自分にとって都合の良い言葉でありながら、ヒトに伝えるのをやめている、
本当に伝えたいことを弱めてしまっているのではないかと感じる...

だが、この「なんか」の裏には言葉にできないなんとも言えないモヤモヤとヒトには
伝えにくいボク独自の感性が含んでいるんじゃ否かとも思っている。

素敵な絵を見たり、旅先で言葉にできないほどの瞬間に遭遇した時に
これどうやって言葉にして伝えたら良いのかなって感じる部分がある...
それをあえて言語化し、多くの人に伝え、評価してもらうために
Twitterなどで伝わるための表現や言葉選びをして絞り出した投稿をすることも少なくない....

でも、やっぱりよくよく自分の中で考えてみるとその場にいないと伝わらない、感じ取れないモノはやっぱり存在するし
全てを言語化する必要性もないんじゃないだろうかと感じている...

結局何が言いたいのか、伝えるべき情報や思いと自分の中でそっとしておいてあえて言語化する必要性がないモノも自分の中であり、それはその場その場に応じて使い分けるのが今の自分に会っている言葉との向き合い方である。

だから、100%誰にでも伝わる言葉は今は使わないで良いやって思うと少し心が楽になった...

明日もよろしくお願いします...

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