フジロックの思い出①〜導入編〜
一度ちゃんとまとめておこうと思っていたフジロックの記憶。
命からがら生還し、もう野外フェスはこりごりという思いにさせられた経験も、今となってはとっくに笑い話である。すでに100回ぐらい話してきているけど、確実に100回笑いが取れるおいしい案件でもある。
自分が行ったのは第1回目の初日(2日目は台風直撃で中止)と、一時的に豊洲で開催した翌年の第2回2日目のみ。
現在に至るまで会場となっている苗場には、実は一度も足を運んだことがない。
1997年7月。
当時の音楽好きにとって、情報源は音楽雑誌ぐらいしかなかった。よってそこから日本初の大型フェスティヴァル=フジロックのことを知ったのだろう。
昔も今も、洋楽なんて聴く層は限られる。逆にだからこそ、一人一人の熱量は高かったのかもしれない。今は乱立していて珍しくもない状況になって久しいが、何せ初めてのフェスだったのだ。期待はこれ以上もなく膨らんでいたはず。
幸いにして自分には中学の同級生でロックを教えてくれた友人が2人いて、全員が別々の高校に通っていたが、バンドの真似事などもして引き続きよく遊んでいた。当然、この3人で行くことに。高校2年生の夏休み。泊まりでの旅行で、大好きな音楽をまとめて生で聴ける。まだライヴハウスなどに数回行ったことがあるだけの純粋な音楽ファン。見るもの聴くもの全てが新鮮。文字通り、地に足がついていないフワッフワの、手を離せば飛んでいきそうな風船みたいな脳内状況だったのだろう。
そんな無軌道で無鉄砲、体力だけはありあまっている若者たちが全国から集結してくる。みんながみんな初めてのことなので、ルール徹底はおろかマナーも守れず(というか知らず)、移動や食事・服装や装備などの勝手も分からず、今で言うところのオーバーツーリズム(=観光公害)が極まれり、その後の混沌と混乱は必至だったのだろう。まさか会場に足を踏み入れた瞬間からそのような光景を目の当たりにするとは、光り輝く未来しか見えていなかった出発当日の朝には想像だにしなかった。
身勝手な者たちの傍若無人な振る舞いに、富士天神山の神は怒り狂い、穏やかでない制裁を加えることになる…。
続く(はず)
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