音楽と言語圏

金曜日なので解禁された新譜を調べてみる。今週はかなり作品数多め。予め先行曲などで知っていたものはすぐ試聴に取りかかれる。時差の関係で情報が出揃うのは夜遅くなってからなので、土曜日に改めてリストから探してみるつもり。
我ながら、どうしていつも英語圏なのかなと思う。乱雑すぎる見方だが、ポピュラー音楽を言語から俯瞰してみると、大まかに英語圏とフランス語圏、そしてスペイン語圏があるように思う。それにポルトガル語圏を加えてもいいかもしれない。それぞれが自国以外に領土を拡大し植民地を抱えていた名残もあって、そのような言語圏が形成されている。かつての支配層は資源だけではなく文化資本も利益を生み出し、言葉ひいては労働と教育も押さえることで自分たちに有利に事が進められるのを理解していたのだろう。
一度、主にスペイン語圏の音楽を日本に紹介しているレコード会社の人に、自分があなたのようにラテン音楽を知らないのは言語圏によるものでは、と尋ねてみたが、それは違うと返ってきた。なぜそう思うのか確認したかったが、自分の説明不足もあったし、先方はもっと別の原因を伝えたかったのかもしれない。考え続けるべき宿題として今も残っている。
日本は減少段階に入ったとはいえ人口1億2千万人以上で、そのほとんどが同一言語を用いるという世界的に見ても稀な国だ。一方では義務教育に採用している事実を指摘するまでもなく、生活の至る所に英語とその背景にある文化が入り込み、もはや違和感を改めて感じることもないほどだ。常々「準英語圏」なのではないかと思っている。もし別の言語が必修科目だったとしたら、自然とその言葉が持っている文化や価値観に対して興味を持ち始めたことだろう。幸か不幸か英語だった、戦後生まれの日本人である自分の場合は。
自分は日本語が母語で、今もなお日本語で考え暮らしている。習った事がある外国語は英語とフランス語のみで、理解度はかなり低い。そんな自分が、特に音楽を聴くとき、多くの場合なぜ英語圏のものなのか。確かにとりわけアメリカの文化は強大だ、音楽も含めて。そうではあるものの、なぜ日本語の音楽を自分はそれほど聴かないのか。ついでに言えば、なぜ日本の映画もあまり観ないのか。もちろん例外はある、意外にたくさん。でもそれらは黒澤明とか小津安二郎あたりになると思う。
仮説を立てておくと、自国の限られた範囲内だけで十分すぎるほどの市場が形成できる日本の音楽業界は、敢えてリスクを取ってまで世界に出る理由がないからではないか。内向きなモノ作りになる。それに対して、例えば英語はすでにグローバル=地球規模なので、最初から世界を相手に作らざるを得ない。勝負し訴えかける対象の規模も越えるべき基準も、全く異なってくるのだ。
1990年代半ば、14~15歳のとき、自分は英語圏の音楽にただならぬ緊張感を察知した。どこか軽さと甘ったるさを残す日本のポピュラー音楽には感じられなかった真剣さと言ってもいいかもしれない。繰り返しになるが、もちろん例外はある。一度自分が良いと思う日本の音楽をちゃんとまとめておこうと思っているぐらいだ。
それにしても自分は何で自国の音楽と映画に興味を持てないのか?

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