盆暗

・めっきり寒くなった。しばらく近況も何も更新していませんでしたが忙しいだけで元気です。忙しすぎる毎日にもういよいよついていけないと思ってニコチンコーヒー(絶対に真似するな!)をこさえたりもしましたがどうにか服毒せずに済みまして、今は元気です。忙しさって危ない。人生も安全運転できた方が絶対に良い。でも俺はもう向こう五年十年は突っ走ります。シワシワの実の年中師走人間。いや、鳥類?

・本当に唐突な話なんだけど、歌詞における「◯◯(任意の時間帯の空に現れる自然現象)を見に行こう」ってフレーズあるじゃないですか。流れ星、夕暮れ、朝日、とか。人間は昼間の下で生きる。だから大概この手のロマンティックな歌詞に取り上げられるのは朝夕か深夜だ。だけど考えてみてほしい。歌詞に書かれない昼間に俺たちが何をしているのか。そう、労働。あるいは勉学、制作。自然など見ていられるほど我々は自由ではない。じゃあもし引きこもりで一日中自由時間だって人は? やっぱり昼間の太陽の下に出て顔を上げるのは難しい人の方が多い気がする。つまりまあみんな、白昼堂々おそらきれい、なんて眺めてられる余裕は滅多に無い。困難を乗り越えて滅多に見られないものを見に行こう、なんてニュアンスの作詞において「朝の光」「夕焼け」「夜空の星」ってのは常套手段だが、我々が見るにあたって一番困難なのって“昼”なんじゃないか。そんなことを考えながら今日は薬局に行って帰ってきた。無論、このロマンのかけらもない仮説は今後一生クソの役にも立たぬ。

・と思ったが僕が最後に出したボカロ曲に「靴をトントンと履いてあの真昼に行こう」という歌詞があったのを思い出した。俺の役にだけ立った。理屈捏ねくり回しタイム、終わり。

・AKIRA学の更新をしないままずいぶん経ってしまった。生きてる限り一年に一回は更新します、などとほざいたもんだから、このままぼーっとしていたら俺はリビングデッドになってしまう。ここまで「書くことは生きること」という己の座右の銘が身に染みたのは今が初めてである。書かねば。

・聡明なひとと久々にちゃんと会った。風邪ひいたとかで先週は話す機会がなかった。冬はお洒落より暖かさ優先らしくモッコモコになっていて良かった。部屋からギターが消えていたので訊いたら「年末年始で曲でも作ろ〜と思って実家に送った」とのことだった。ご実家、野菜のノリでアコギ到着して困惑してるだろうな。と思ったが声に出さず夕飯を一緒に食べた。「風邪大丈夫だったんですか?」と訊いたら「辛ラーメン食って汗かいたのを放置して熱出した、喉の中が指で触れるぐらい腫れてたからつついてたら余計腫れた」とケラケラ笑いながら言っていて最悪だった。呆れて声も出せずにいたら話題がまた作曲に戻った。僕の使っているモバイル花さんを紹介したら即その場でモバボカエディタ(有料アプリ)を落としていた。おいおい、と思ったがあまりに嬉しそうなので何も言えなかった。お揃いのもこもこ部屋着を着た初音ミクに「マスター」と呼ばれる聡明なひとを想像した。少し嫉妬した。

・聡明なひとと、死にたいまま死んでほしいと誰彼に願われたまま、それでも生きてみようねえ、みたいな話をした。演劇の台詞かよ。畳の上で往生なんて夢のまた夢なろくでなしだから裏切ることになったらすんませんとも思ったし、命を懸けて約束を守ろうとも思った。

・小説、課題、ちょっと酒。そういう毎日が続いている。相変わらず公募は泣かず飛ばずで焦っている。小説家になれないまま死にたくない。物心ついてから執筆を続けている身としてはこれは譲れない。ただしメンタルの不具合で思考が一時おかしくなっている時を除く。学生のうちにどこか大手を通ればある程度短命だって構わないし、いつまで経っても取れなきゃ怪異になってでも生きるしかない。思想の偏りにスピードを増し始めた父親の情報によれば人類はあと千年だか二千年だかは続くらしい。二千回あれば一回ぐらい引っかからないかなぁ、芥川賞。こんなこと言ってるうちは本気度が足りないのかなぁ。本気になればなんでもできるわけでもなし、才能があればなんでもできるわけじゃなし。どちらかでもあるとも言ってなし。それでも進むしかないらしい。ひとまずは年末に向けてAKIRA学のnoteと原稿と。俺がボンクラなばかりにあと千回迎えるかもしれない、それでもこの一度きりしかない2021年の師走へ、捧ぐべきものを捧ぐ。

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