臨床

・年末を前に課題に追われている。AKIRA学、更新出来ないかもしれない。ほかに学ばなきゃいけないことがいっぱいあるなら仕方ないかあ、ぐらいに思っておいて下さい。申し訳ねえ。

・理芽ちゃんを聴き始めた。大概、デビューから数年経ってハマったアーティストに対しては「どうしてもっと早く出会おうとしなかったのだ!」と後悔の念を抱くのだけど、今回に関してはあまりそれがない。今ハマるべくしてハマった、そんな感じがする。あるいはメイン楽曲提供者な笹川真生の元からの大ファンなので、何かしら「時が来たらハマるっしょテヘペロ」みたいな余裕があった気がする。どうでもいいけど「に対しては〜、けど〜に関しては〜」って構文、ちゃっかり二兎追う者が使う文法って感じであざといよね。さっき使った。どうでもいい話終わり。今は当然理芽ちゃんを聴きながらnoteを書いている。これは全然どうでも良くない。みんな理芽ちゃんを聴け。

・理芽ちゃんの何がいいかについてもう少し書いておく。個人的な感想であるので鵜呑みにはしないでほしいのだけど、彼女の声は、また彼女に提供されたローテンションな楽曲群は自分がその時どんな気分に位置しようと気楽に聴けるように感じた。落ち込んでいる時は一緒に沈んでくれるし元気な時はゆったり浅く浸からせてくれる。そんなイメージ。そういうアーティストがよく聴くプレイリストの中に一人いるととってもQOL(クオリティー・オブ・ライフ)が上がる気がする。VRC(バーチャル・リアリティ・チャット)世界で相互プレイヤーのニーズを満たすことを目的とした恋人関係の二人のことを「お砂糖」と呼ぶのを最近知ったのだけど、僕はさっきの「いつでも気楽に聴ける」アーティストのことを内心で「お粥」と呼んでいる。僕にとって昔はそれは「YANKEE」〜「Bremen」辺りの米津玄師だったのだけど、砂事件があったり、登校拒否の頃に聴きまくってた数曲が起爆装置の如く当時の五感の不穏と結びついてしまったり、色々積み重なってさほど聴かなくなってしまった。お粥も食品なんで、時間経過には抗えないし、水分が飛んで乾燥したり逆に水を吸って一粒一粒が大きくなりすぎたり、はたまた腐っていってしまったりするかもしれない。あるいは自分の方がもっと歯応えあるもの食べたくなって置いてっちゃったりな。あれ、最近気に入りのVSingerについて書くはずが何だこの文章は。腹減ってきた。今夜は中華粥の気分。鶏ガラ効いたやつ。

・聡明なひとが壊れてしまった。数年前に一度壊れたところを治しながら、あるいは騙しながら懸命に生活してきたらしいことを僕は知っているので再発と言うべきか。懸命なひと、と一時的に呼び名を変えてみるべきか。いやそれはダメだ。「懸命」って字面がもうダメだ。命なんてかけないでくれ。いい広さ、いい暖かさの安心安全な温室の中とかで昼間から酒でも空けておいてくれ。とにもかくにも、僕は最近はこのひとの愚痴聴きと、制御が効かずにぶつかってしまった周囲の人間へのフォローに奔走している。別に僕には人と人を仲直りさせるような高尚な応用系コミュニケーション能力はないので、基本的にはそれは「もしできることなら大目に見て下されば、無理であれば今しばらくそっとしておいて下されば有り難いそうです」という代理アナウンスになる。一時的とはいえ、あれほど人気者だったひとの周りにほとんど誰も残っていないさまを日々見ている。津波の直前、不自然に引いていく波を見るような恐ろしさがある。

・で、僕だけが残る。必然的に捕まる。「よ〜う、ちょっとツラ貸してよ」とか言われる。普通に飲みに付き合えって言ってくれりゃいいのに。と思いつつ同行する。そして酒が空いたグラスあればすぐに注いだり、焼き鳥の串をさっと外したり、うっせぇわの2番Bメロみたいな仕事を進んでやりながら愚痴を聞く。感謝され、酒を勧めてもらう。そんな感じで仲良くやってはいるんだけどなにぶん向こうは壊れているので、一度「よだかの存在の都合良さは私にとって労災が降りたようなもんだと思ってる」というかなりひどい一言を貰ったことがある。思い出したらちょっと腹立ってきたな。何、何、なんでだよ。おれ別にそういう仕事とかじゃねえから。ただのしがないあーたの後輩だから。労災って何だよ。ご立派な権利の名前じゃん。嫌だろ労災申請してお金とかお休みとかじゃなくこんな能のない鼻垂れが「ちーす、ケアに来ましたー」とか言ってずかずか寄ってきたら。っていうのもあるし、おれ別に好きでやってるんで。感情で動いてるだけなんで。下心ってあるでしょ。あれだよ。当然の制度か自然現象みたいに言ってくれたけど全然そうじゃないからな。都合良いって言うけどおれそこまで自分捨ててないからな。都合良い男に見えてるのは相当大部分の都合悪い部分に対してあなたが鈍感かつ寛容だからで、逆にそこまで参ってて当方のワガママにそこそこ鈍感かつ寛容であってくれるのすげえよ。それをあーた、人をモノみたいに。おい。いつか絶縁することになったら「労災は以上の内容となります」って営業スマイルで言うからな。言わないけど。あと都合良いって言葉はシンプルに傷つく。おい。

・まあでも、そういう無配慮すぎる一言を病的な衝動が言わせているのはわかってるし。元々試し行為の激しい人ではあるし。今はとりあえず自分が100パー譲歩する方向で行こう、と舵切った甲斐あってか単なる時間経過によってなのかわからないけど、今週末には比較的落ち着いてきたように見える。そして僕もここに書き出したことで色々それなりに落ち着いた。そもそも労災発言、向こうが撤回しようとしたところで僕が無理やり訊き返したんだったってことも思い出した。そういうとこきったねえのはお互い様だし、今後も腹の底探り合ったり拒絶し合ったりタイミング悪く追ったり追われたり、色々前途多難でスリリングな人間関係になるだろう。もっと穏やかな人間関係は世の中に五万とあるんだろうと思う。それでもどうも僕は聡明なひとにぞっこんなようなので、いつか結局嫌いになるか嫌われるか、はたまた死が二人を分かつかまでは程々に仲良くやっていこうかと今は考えています。汚くていいやー。

・腹減った。多分腹立ってたの空腹のせいだなと思うぐらい腹減った。朝からカップラーメンしか食べてないからな。ミルクシーフード味。初めて食べたけどめっちゃ美味しかった。これはチーズ入れたらトぶだろうなと思う。冬の間にまた買おうと思う。期間限定カップ麺は春には店頭を去るし、推しのシンガーが自分にとっていつまで推せる存在であるかなんてわからないし、どんなに想った恋人だって別れる時は別れるしかないんだろうし。昔はそれらに対して爪を立てるようなしがみつき方をしていた。たくさんそれで周囲に迷惑をかけたし、自分の脳にも要らないダメージをかけ続けたと思う。でも失う時は失うんだよ。それでも歩いていかなきゃとかそうなったら潔く死ぬべきだとか、そんなつまんない二極的な説教は言う気ない。ただ失うだけ。残念ながらほんっとにただ失うだけだ。なんならそのものずばりを失うより前に自分の心の諸要素を失うので、その結果手放すのは自分からだったりして。やりきれないね。そういったことを心に刻む意味でおれにとって拙作「ジングル」を作ったことは意味があったと思う。またそのうち色々失うよ、来世はあるかもしんないしないかもしんないけどどっちにしたって理想郷に行くわけではないしどーにかなるようになるよ、ということ。良い意味での虚無と無意味を獲得するプロセスの上で間違いなくそこに意味があった。ただね、おれ、こうして書き物するの好きだし魚介ダシも好きだし音楽も好きだし好きな人のことが好きだし、失うまでは大切に扱ってみるよ。その程度は幸せになったっていいでしょ。

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