あらためて「恥」とは?

前回の記事は、スマホから直打ちしてえいやっ!と「公開する」ボタンを押してみた。(←いつもはPCで書いていて、下書きに入れて何度も推敲している)
なぜなら、自分の感情をありのまま出すために、下書きしないでnoteを書いて投稿する、とその24時間前に自分で決めたから。
あの日は朝からちょっとした番狂わせがあって、あれとこれとそれをやったら期限内にnoteをアップするのは難しいんじゃないか???と思うような状況だったけど、やる気になればできるもんだ。ドトールに入り、バナナ青汁スムージーを飲みながら(←どうでもいい)スマホと向き合って投稿した。

きっかけは24時間前に現状打破を目的にしたカードコーチングのセッションを受けたこと。そのときあらためて自分の中で浮上してきた言葉が「恥」だった。


そもそも「恥」ってなんだ?


グーグル先生が表示した「コトバンク」をクリックすると、興味深い解説があった。アメリカの文化人類学者ベネディクトという人によれば、

「自己の行動に対する世評に気を配るということ」であり、したがってまた「他人の判断を基準にして自己の行動の方針を定める」こと

ということらしい。
・・・どんだけ他人軸で生きてんの?自分。


TED Talksで話題になったらしい
The power of volunerability」(邦訳:「”弱さ”という力」)
のプレゼンテーター Brené Brown(ブレネー・ブラウン)が別の日に行った
プレゼンテーション
Listening to shame
の中でこう言っていた。

Shame drives two big tapes -- "never good enough" -- and, if you can talk it out of that one, "who do you think you are?"
恥はこんな2つのレッテルで縛ります 「お前は十分じゃない」 それを攻略できたら 次は 「何様のつもりだい?」

まさしく、自分はそうだ。
何かをしようとするとき、「いやいや、そんなことを言える(やれる)器じゃないだろう。」とか、「おこがましくないか?」とつい考える癖。

誰だって失敗をするんだ、完璧なんてない。
たとえ完璧にのぞんだとしても、人は完璧な姿を求めているのではない。
自分の弱さ、不完全であることを受け入れる勇気が必要なのだと彼女は言っていた。


結局は自分に向けた自分の目が、自分を縛っているだけのことなんだ。
自分の思考が勝手に造り上げた、他人の皮をかぶった自分という批評家を怖れているなんて。よく考えれば茶番以外の何ものでもない。

これまでなかなか、自分を肯定する言葉としてしっくりくるものがなかったけれど、彼女のプレゼンテーションの中で見つけた。


わたしは自分にこう言いたい。

I'm enough.



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?