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ダイアログ・イン・サイレンス

お盆の最終日、新宿で開催されていた「ダイアログ・イン・サイレンス」に参加した。

聴覚障がいの方がアテンドしてくれて、音のない世界で様々なコミュニケーションを体験する。
参加者はヘッドホンを装着して音を遮断。おしゃべりはもちろんのこと、手話がわかる人も手話禁止。
最初は簡単なことから、次第に想像力を使うことへとコミュニケーションのレベルが上っていく。
音を遮断しているだけなのに、その場にいる人たちは、年齢も性別も国籍も関係なく、お互い何の先入観を持つこともなく、まったくフラットな関係だった。
中盤を過ぎた頃にはコミュニケーションにも慣れ、参加者同志も打ち解けあって、笑い声はないけど笑いのたえない時間だった。
最後はヘッドホンを外し、アテンドさんも交えて言葉で意見交換をする場があった。このとき、彼女が中途失聴者であることをお聞きした。
参加者はみんな、新しい体験に高揚していたように思う。
わたしは体験中よほど集中していたのか?興奮していたのか?しゃべってもいないのに喉がカラカラになっていたことに後で気付いた(笑)。

この日アテンドしてくださったのは、かりんさん。
最初に迎えてくださったとき、笑顔の美しい、優しそうだけど芯の強そうな雰囲気の方だなあと感じた。立ち居振る舞いがとてもエレガントだったので、そもそも、こうしたエンターテイメント(といっていいのかな?)に関わっている方って、どんなバックグラウンドをお持ちなんだろう?只者ではなさそうだな?と直感で思った。

その2日ほど後、SNSでかりんさんが本を出されていることを知った。
早速その本を購入して拝読・・・。一気読み!
・・・やっぱり只者ではなかった(笑)。


ところで、わたしが初めて手話を知ったのは、たぶん中学生くらいの頃放送していたお昼の連続ドラマだった。→年代がモロバレ
ろうあ夫婦の話で、おそらく当時はひどい差別があったのだと思う、子どもながらに何とも理不尽な思いを抱いたり、悲しくて泣いたりしたものだ。
そのドラマの主題歌のバックでは、大きくアップにした影絵のような手がうつり、歌詞を手話で美しく表現していたように思う。
ドラマのタイトルを覚えていなかったのであらためてググってみたら、「名もなく貧しく美しく」という映画をドラマ化したものらしい。
そのドラマを見なかったら、音が聞こえない世界があることすら、気付いていなかったかもしれない・・・。


当たり前のように目も耳も口も腕も脚も使える自分が、想像力を働かせて、何か不自由な状態を理解することには、残念ながら限度がある。
どんな工夫をして日常生活を過ごしているのか?
どんなときに本当に困るのか?
本やこうしたイベントを通して少しでも触れることができたのは、いい機会になった。
「ダイアログ・イン・ザ・ダーク」、「ダイアログ・イン・サイレンス」、「ダイアログ・ウィズ・タイム」という3つの体験ができるミュージアム”ダイアログ・ミュージアム「対話の森」”が、2020年竹芝にオープンするらしい。まだ体験していないふたつも、ぜひ体験してみたい!

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