2022/04/30 RM430福岡1200飛梅
AJ福岡主催のRM、飛梅1200に参加した。
ブルべのカテゴリとしてはACP管掌の200〜1000、LRM(Les Randonneurs Mondiaux)管掌の1200以上があるが、日本では何故か1200kmだけはフルサポートでの開催が求められている。海外からのお客様をお迎えすること、オーバーナイトコントロールの設置などなど…(ルール上どのように規定されているのかは知らない)。その開催負荷は圧倒的に高いはずで、ほんとうにありがたい限り。今回もAJ福岡のみなさんだけでなくAR鹿児島・R熊本・AJ長崎のみなさんも含めたオール九州体制でのおもてなしだったようだ。
政府の方針もあって今回海外からのエントラントは参加を断念せざるを得なかったとのことで、まことに残念な限り。いつもの福岡だったらきっと台湾からの参加もたくさんいたことであろう。
自分の過去の経験(AJ北海道納沙布1200 / R札幌Clover Hokkaido1200)でも、そういった海外からの参加者とのコミュニケーションが楽しかった。Korea1200に至っては自分の方が異邦人である(韓国の人はお客さんに対してはめちゃくちゃ歓待する。途中の食事で一銭も出せなかった)。
前日に車検&ブリーフィング。
Tシャツ&ドロップバッグとして使うナップザックもいただく。
そして前夜祭。昨年の12月からエントリーを受け付けていて、その段階で前夜祭もセットで受け付けるのはなかなかの胆力だと思う(笑)感染対策も多分にとっていただいて、ほんとうに参加できてよかった。
こういうの本当に何年ぶりだろうと思う…自分にとってはPBP以来のお祭り感。迎える側も走る側も一体となって楽しもうという多幸感に包まれた場がRM。他のブルべとまったく違うこの雰囲気に、可能な限り参加できればなと(走る前から)思った。フレッシュと1200はほんと他と違うのよ。
それと同時に開催の大変さが身に染みて分かるだけに、いずれはおもてなしする側で参加したいなと思うのであった。
【Depart 0km 筑後船子屋 公園の宿
〜 Chk1 94.6km 阿蘇山上駐車場】
翌日、スタートの日。
一駅となりの羽犬塚に宿をとっていたが、ゆっくりと朝食をとりスタートへ移動。
今回は前夜祭があることも考慮してか、スタートが11:00 / 12:00という遅い時間のスタートである。そしてPC1に設定されているさつま町の白男川紫陽館は286km地点。かなり検討をしたのだがここの周辺に泊まれる場所は思い当たらず、さつま町で雑魚寝をするしか手がなさそうだ。ろくに疲労回復ができないまま2日目を迎えるしかなく、2日目の消耗具合が完走を占うであろうことが予想された。
自分のスタートは11:00。スタート待ちでなぜか前の方に並んでしまい、序盤はけっこうなペースで進むことになった。
わりとあっという間に熊本県へ。今回のコースは反時計回りに九州を一周する設計で、7県全てに足を踏み入れることになる。
55kmほど平坦基調であったが、そこからいよいよ阿蘇外輪山への登りとなった。登りでほぼ同じペースになった人に「二重ノ峠は阿蘇外輪山のアプローチでいちばん緩い峠」と教えてもらったがなかなかどうして直登気味できつかった。
阿蘇は自転車では3回目。1回目はまだラピュタの道が健在だったのでそれ以来の外輪山。懐かしい風景だった。
外輪山を下ってからセブンで最初の休憩。ここから阿蘇山を登るのが初日のヤマである。
阿蘇はきつい登りではないことは知っていた(ただし、登り初めのショートカットは意味わからんぐらいの直登だった…このショートカットがなければヒライにも寄れたのに!)ので、目標の到達時刻から遅れなければいいやという気持ちでゆるゆると登った。ブルべで長い登りはとにかく焦ってはならん。結果計画の30分前に登り切ることができた。
【Chk1 94.6km 阿蘇山上駐車場
〜 PC1 286.8km さつま町 白男川紫陽館】
阿蘇の通過チェックの標高は1141m。ここから40kmほどは一方的な下り基調。そして192km先のPC1(仮眠所)まではPC1直前の峠を除いてほぼほぼ平坦基調。阿蘇では貯金30分ほどだったが、貯金を量産するべく飛ばしていく。風は幸いスタート以来ずっと北風で、この追い風のおかげで貯金を作ることができた。途中べいさんと前後することはあったが、平坦では自分の方が勝るようであまり一緒することはなく。
170km地点のヒライで最初の大休止。直前でキルハさんと一緒になったので夕飯をとった。ヒライは熊本を中心に店舗網があるお弁当屋さん。お弁当や日販品の販売の他に学食のようなイートインスペースがあり、うどんやカツ丼などをいただくことができる。九州ブルべではヒライとファミレスのジョイフル。個人的に通過儀礼をクリアした気持ち。
そんなこんなで286km地点のPC1白男川紫陽館には走行計画より30分早い午前3時ごろに到着。貯金5時間。
主にR熊本のみなさんにより、軽食と風呂、仮眠スペースが提供されている。
食事はスタッフが用意していただいた豚汁・ダゴ汁・おにぎりがメイン。自分は朝食に回すことにし、風呂をいただいたのち雑魚寝スペースで仮眠することに。
先ほど記した通り、ここでの雑魚寝のクオリティが完走を左右するかと思っていたのだが、どうにもやはり人の出入りが多く、またマスクをしたままということもあって寝つきが悪い。一切声を顰めないで喋っている参加者もいたりして治安が良くない。一回「うるさいよ黙れ」と叱責したほど。あいつらなんなんだ。
結果熟睡することはできなかった。ちゃんと寝られたのならばリミットギリギリまで滞在していてもよかったのだが、このような状況なので2時間半ほどごろごろしたところで出ることにした。
豚汁・おにぎり・即席スープおこげなどをいただく。七味の代わりとしてさつま町の名産らしき「ひらめき」が置いてあったのだがこのみかんの香りが秀逸。お取り寄せしたいなと思った。
【PC1 286.8km さつま町 白男川紫陽館
〜 chk2 336.9km 桜島フェリー鹿児島フェリーT】
この日の宿は579km地点の田野(HOTEL AZ 宮崎田野)に計画・設定していた。今回のRMは事前にいろんな人と情報交換をしていたのだが、けっこう意見が一致していたのが「PC2が遠すぎる」ということ。
今回はエントリー受付の段階で「ホテルつきプラン」と「ホテルなしプラン」が選択できるようになっていたのだが、その時点での仮ルートではPC2があまりに遠く感じていたため、ホテルなしプランを選択していた。
その後ルートが確定してPC2は635km地点になったのだが、PC1から350km先、しかも佐多岬往復を含むというのはやはり遠いと感じる。あと個人的には鹿屋から先のアップダウンも通過時間帯を考えると不気味。
逆にPC2から先はそれほどの登りはないため、3日目以降は多少余裕ができそうだ。PC2には余裕を持って到着する必要はなく、ギリギリでいいだろうなと当てをつけた。
九州にはほんとうにくまなくHOTEL AZが点在しているため、ホテル選択の自由度は高い。眠くなって進退きわまる前に寝てしまう方がよかろうと考え、PC2から56km手前の田野に目標を設定した。これは他の誰よりも手前かと思う。(3泊目の位置はPC3とほぼ同じところにしたので、その代償として3日目は350kmのロングランとなる)
PC1を出てすぐのコンビニで着替えたジャージを発送。
この日が勝負どころだと考えていたので装備は極力軽量化する。
道はしばらくすると入来峠への登りへと入っていく。入来峠は標高400m、鹿児島市の境だ。
斜度はそこそこあり、直登気味で個人的にはかなり苦手だった。さつま町の仮眠所はどうせ寝られないだろうから鹿児島市街まで無理押ししてしまうプランも考えてはいたのだが、決行していたらかなりつらかっただろうな。
関東から九州を訪れると、植生がかなり違うなと実感する。やはり木々のボリュームがあってジャングルみが強い。みっしりしている。
峠を下るとそのまままっすぐ鹿児島市街。ここまでずっと通ってきた国道3号終点にご挨拶し、いよいよ桜島フェリーへ乗船だ。
桜島フェリーはとにかく需要が大きい路線で、ひっきりなしに船が往復している。時刻表を調べないでもほとんど待ち時間なく乗ることができ、なんと24時間営業。深夜帯でも1時間に一本出ているというから驚き。
チケットを買う必要はなく、鹿児島から桜島に渡るときにはそのまま乗船し、桜島に上陸するときに料金所があるのでそこで支払えばよい。使い勝手としてはほぼ有料道路。スイカ利用可。
今日の桜島は噴火せず大人しくしてくれているようだ。そもそも事前の予報では雨の可能性もあって、雨の中の桜島噴火は自転車にとって最悪の環境になってしまうので回避できてほんとうによかった。
【chk2 336.9km 桜島フェリー鹿児島フェリーT
〜 chk3 431.9km 本土最南端 佐多岬】
桜島島内のアップダウンをこなして大隅半島に入ると、日差しも強くなってきていよいよ眠い。今回唯一計画していた立ち寄りポイントのカンパチもスルーしてしまった。
仕方なくコンビニで補給したのだが、初日から関東では見かけない「デーリィサワー」なる乳酸菌飲料がすっかりお気に入りになってしまった。スコールなどと同じ南日本酪農協同製。メロン・パイン・グレープの3色。
いよいよ佐多岬にアタック、というタイミングでべいさん(PC1でほとんど寝ずに先行していた)に追いついたので、そこからは同行させてもらうことで寝落ちをを回避した。
佐多岬区間は覚悟していた通りの激坂の連続。
とはいえ事前の予習のおかげで、憤るというほどではなかったかな?
無茶苦茶な斜度のところが一箇所あったが、べいさんと「1200km一度も自転車を降りなかったという自慢をしよう」と悪ノリしてなんとか乗ったままクリアした。早々に自転車を降りて押していた人もいたが、その人の方がはるかにスムーズ。無理に乗り通すのはまったくのばかである。
佐多岬には16:00ごろ到達。計画では16:12予定だった。計画が完璧すぎる。
まだトータルで431kmしか進んでいない(実にまだ1/3でしかない!)のだが、ここまで計画通りだったのでだいぶ目処は立ってきたなと実感した。
辿り着くまでのクソ坂の連続に、「もう二度と自転車で来ることはないだろうな」とべいさんと同意できたので、少し足を伸ばして4極到達証明書など普段は興味を示さないお土産品も物色した。
【chk3 431.9km 佐多岬
〜 PC2 635.2km ホテルAZ宮崎都濃】
佐多岬復路も変わらずクソ坂があり、変わらず降りずに乗って通過し、鹿児島湾側まで戻ってきたところで一休み。ここまでで貯金は3時間程度になっていたが、ここからは寝る時間をより確保するためにがんばる。
平地ではべいさんとペースが違うので、ここからパックを解消して先を急いだ。
鹿屋に到着する頃にはもう20時前後。
めちゃくちゃ余裕があったら寄りたいうどん屋さんがあったのだがそれは叶わず。というかここまでで頑張りすぎちゃってバテ気味。ファミマのイートインで1時間近く浪費してしまった。
ここから先は暗い中アップダウンを繰り返しながら都城、そして宿を目指して邁進する。初日が仮眠所での雑魚寝を経ての500kmオーバー、眠くならない方がおかしい。これまで大きな登りは阿蘇と佐多岬があったが、ここから先のアップダウンの方がはるかに難関であろうと、覚悟していた。
そのために宿をぐっと近くに設定したのであり、なんとかそこまでは辿り着こう、と。実際この区間が一番しんどかった。大隈町、曽於市(読めない)、都城市の台地を次々と越えていくのだが、眠いのに加えて、そのヘリの斜度が急峻!10%とか平気である。
あとでPC2にいたスタッフさんに伺ったのだが、このあたり一帯がいわゆる"シラス台地"で、火山灰地層だから川が抉り取る谷が深くなり、その地形をなぞっているからエグいルートになっているのだとか。中学の地理で習ったことをこの歳になって身をもって体験することになった…シラス台地、覚えたよもう…。
都城ではコインランドリーやコンビニを通る度に力尽きたランドヌールを目撃。自分も耐えきれず、コインランドリーで45分ほど寝ることになってしまった。
宿での滞在時間が減ってしまうが、まぁ仕方がない。本当はこうなってしまうと予想される地点で宿をとっておくのがよかったのだろう。たったの25kmだったが足りなかった。実際、都城か田野か迷って田野の宿にしていたのだが、正解は都城であった。
田野のホテルには3時過ぎに到着。計画では2時過ぎだったので1時間の延着。ちょうどコインランドリーで寝ていた分だけ遅れてしまった。まぁトータルでの睡眠時間は同じなので、許容範囲内だろう…。
ギリギリまでマージンを削ることにし、予定より30分押しの6時半すぎに再出発することを決め、床についた。
前日が仮眠所雑魚寝だったので、秒で寝落ち。3時間きっかり寝た。
急いで荷物をまとめ、ドロップバッグを返送して出発する。
田野で寝るという判断は(自分の力量を考えれば妥当とはいえ)一般的には思い切った策かと思う。制限時間設定のあるPC2までまだ55km以上もあり、さらにPC3にもこの日のうち(=翌日朝方)に到達しなければならない。
3日以上のライドでは、初日から最終日に向けてだんだんその日の距離が短くなっていくように計画するのがセオリーと言われる。SR600Oiraseでも、238km / 230km / 135km で計画した。
今回は(初日が昼スタートなのもあって)286km / 290km / 350km / 280km という配分になった。確かに3日目はあまり登りも多くないのだが、決して楽ではない。
6時半に出発することができたので、PC2への55kmは4時間で辿り着けばよい。宮崎市街を通り抜けるのが多少気になるが、おそらく問題はないだろう。すでに宮崎市内には入っており、基本的に下り基調&平坦だ。
宮崎市内では、二段階右折の表示が明確にされているのが印象に残った。左折レーンが充実しているためだと思われるが、右折時に待機する場所が明記されていてわかりやすい。
PC2へ辿り着くかどうかは比較的早く目処がつき、途中コンビニで休憩する余裕も生まれた。635km地点PC2(HOTEL AZ 宮崎都農)には9:40、貯金1時間弱で到着。
PC2は「ホテルつきプラン」のホテルでもあり、実質オーバーナイトコントロールだ。そのためぎりぎりまで滞在している人も多く、多くの人と再会することもできた。
オフィシャルのドロップバッグサービスも、スタート/ゴールとここを往復している。自分は宿を別にとっていたため基本的にドロップバッグには頼らない方針だったが、念のためここにカッパの下などの装備を送っておいた。
機材トラブルでリタイヤした人やスタッフの皆さんと話し「この先も雨は降らないよなぁ」と装備の一部をドロップバッグにパージ。見事なフラグを建立した(同じ目にあった人も多いはず)。談笑しているうちにいつのまにかPCクローズの時刻になったのでそろそろ出発することにした。
【PC2 635.2km ホテルAZ宮崎都濃
〜 chk4 784.3km 佐賀関】
ふたたびべいさんと前後。延岡でちょうどお昼時になったので目に入った海鮮食堂にピットイン。実に初めての座って食べるご飯!鯵がめちゃうまであった。
食べたら必然的に眠くなるのだが、この日はけっこう気温も上がり、またこの日もまた追い風(ここまで、初日から基本的にいい風が吹いている気がする)だったこともあって熱中症が心配。頭がぼーっとするたびに休憩を入れるようにして用心することにする。貯金を作るのは日が陰ってからでよい、という認識。
ここまで国道10号を北上してきたが、延岡から先は国道326号へ移り、大分県との県境へ向けて峠となる。
その手前で一台の自転車に追いつかれいくらか会話をしたのだが微妙に話が噛み合わない。ちゃんと聞くとなんとR東京のRideAcrossJapan(日本縦断2700km)の参加者だという。桜島をスタートして今日が2日目、これから11日間かけて宗谷岬まで。ここまでおおむね同じルートだが向こうは臼杵でフェリーに乗るので国道10号との分岐でお別れ。すごいタイミングで会うことができたみたい。最後までお気をつけて!
大分県境はその後わりとすぐやってきたのだが、そこがピークではなくて三国峠はそこから20km近く先で、獲得標高は大したことないのにやたらと時間がかかった。予習が及んでいなかったが故に先の見えなさを感じた。
三国峠を登っているあたりから身体の変調が始まる。アキレス腱に多少の違和感を感じるようになってきた。730km踏み続けてきた結果か、アンクルバンドの締め付けの影響かはわからないが、予防的にロキソニンテープを貼って様子をみることにした。
通り雨に一瞬停滞したりもしつつ、佐賀関には20:30ごろの到着。
このあたりから予習がいい加減、というかあまり厳密なことを計画してもその通りにはいかないだろうと考えていてざっくり20時前ぐらいだろうなぁと考えていた。それよりは延着。まぁあまり気にはならない。
【chk4 784.3km 佐賀関
〜 PC3 925.2km ホテルAZ香春】
べいさんとは「どこかで座って食事がしたいね」と話していたのだが、佐賀関のあたりはすでに真っ暗。とても関アジ関サバなんて環境ではなかった。
ここも調査不足で、このあたりではなんか補給できるだろうと思っていたのだが何もなく。自販機で甘いものをとって先を急ぐことにした。
ここからしばらくは海岸線沿いのど平坦区間。いきおい自分のペースが上がってしまい、べいさんとは別れることになってしまった。ファミレスを見つけたらそこで待てばいいかと思い、気にせず進むことにする。
25kmほど進むとジョイフルを発見。ジョイフルは九州にはたくさんあるファミレスで、やはり九州ブルべの通過儀礼クリア。(まぁ、ジョイフルは関東にもあるけど)
ここでべいさんに連絡するが、べいさんはかなり距離が離れてしまったようだ。大分・別府の市街地を抜けることにはなるが、自分としてはこの平坦区間で貯金を増やしておきたいと考えた。ロキソニン効果もあって脚はまったく問題ない。踏めるだけ踏もうと思い、景気付けにうなぎを注文(普段は政治的理由により、ファミレス・牛丼チェーン等で鰻を頼むことはないのだけれど。実際真空パック鰻では大して美味しくはない)。
大分市内では先ほど雨を降らされたGuranさんをパス。
そして11km先にmomさん・キルハさんが見えた(仲間内では位置共有をしていたのだ)。どうも休憩をとっているようなので、追いつけたらいいなと思いかっとばす。市街地区間の45kmを2時間弱で抜けているので、なかなか頑張った。ふたりとは最大3km差まで詰め寄ったので、いよいよ信号待ちで追いついて後ろから肩をポンと叩きたいな、と妄想をしていたのだが…ここでまさかの予想もしていなかった土砂降りに!
装備はPC2で一部をパージしてしまったこともあって手薄。なによりあと3kmで追いつけるという状況なのでできれば追いついてしまいたい。向こうも雨宿りをどっかでするかもしれないし…ここまで頑張ってきたのを無駄にしたくない…という思考から、カッパも着ずにそのまま進行してしまった。
結果ぐっしょぐしょに。メンタル低下して情けないDMも発していたり。
結果追いつくことはできず、装備を立て直すためにコインランドリーでの大ブレーキを余儀なくされてしまった。
宇佐、時刻は午前2時。PC3に午前5時ぐらいには到着していたいなと思っていたのだが、まだ55km先の彼方である。
装備の不足はいかんともしがたく、コンビニカッパの下でも買うか…とセブンイレブンに入ったら「moz 吸水速乾ルームウェアセット」を発見。
伸縮するのでレーパンの上に着るのにちょうどいい!かっこよすぎる!PC2での誤判断が致命傷とならずに九死に一生を得た。
メンタル的にはこのあたりがいちばんのヤマだったかもしれないが、リカバリーがうまくいった。
これだけ停滞しても貯金としては3時間近くあったわけで、RMならではの時間経過かなとも思う。
基本平坦なので眠気さえ誤魔化せていれば辿り着く。925km PC3には6:48に到着。午前5時の到着を予定、せめて6時には着きたかったが1時間近くの延着となった。
突然の雨にやられたのをリカバリーしたので、まぁ許容範囲内か。幸いあまり眠くはない。
PCもホテルAZだが、自分の宿はそこからほんの3kmほど進んだ先のホテルAZ田川。7時には到着したので即寝。1時間ほどの借金を背負って10時のチェックアウトまで滞在することにする。
ほんとにホテルAZは九州のいたるところにある。経営大丈夫なのかというレベル。
【PC3 925.2km ホテルAZ香春
〜 chk5 1057.8km ローソン佐世保早苗町】
PC3が最後の制限時間のある関門。あとはゴールの90時間に間に合わせれば完走認定だ。残り270km / 21時間。ここでの借金1時間はもはや大したことではない。もっと寝てもよかったのだが、宿のチェックアウトが10時だったのでそれに合わせて出ることにした。
宿を出てわりとすぐのところでRマリオさんとmomさんに遭遇。
momさんとはほぼスタート以来の再会。
昨晩ぜんぜん応答してもらえなかったのにムクれて大人気ない態度を取ったりwもしたけど、ここはご一緒させてもらうことにした。
もう、宿で朝目が醒めた時点で完走認定に向けては勝負がついている。Rマリオさんはめっちゃグルメなかたなので、その情報に頼らせてもらおうというのも理由(笑)
大きな峠もないので、かなり淡々と進んでいく。それだけにトレインに乗らせてもらったのは大変ありがたかった。
【chk5 1057.8km ローソン佐世保早苗町
〜 chk6 1109.6km ファミマ諫早天満町】
ここまでくると、あまり語ることもなく。
とにかく平坦な区間を淡々と進めていく。それだけにトレインを組ませていただいているのがありがたかった。
最終コントロールの1109km諫早ファミマに到着時、貯金は40分。
もう貯金はありさえすればいい状態ではある。
到着してからしばらくして、どなたかがコンビニの入り口で落車。
知り合いの方であった。よくある、歩道の乗り上げ部分ではすったとのこと。
自分は疲れていたのか、あまり積極的に介助ができなかったが、本人が落ち着くまで時間をおいたあと、救急車を呼ばれて異常なしとの診断をいただいたとのこと。結果DNFの決断をされたとのことだが、1100kmまで走って止める決断は本当に立派だと思う。自分が同じ立場だったときに同じ判断ができるか自信がないし、逆に進む判断をしたとしても第三者としては止めることもできなかったと思う。
【chk6 1109.6km ファミマ諫早天満町
〜 Arivee 1207.0km 筑後船子屋公園の宿】
もうコースとしては難関のようなものは何一つない。
2ヶ所峠のようなものがあるが標高は38m(笑)ほんとうに平らな佐賀平野を突き進むことになる。
個人的に楽しみにしていた風景として、諫早市のフルーツバス停があった。ここはお願いして写真を撮らせてもらうことに。
本当は昼間に来てみたかった…。
とはいえ、ここはひとりだったらけっこうしんどかったはず。
眠そうにしていた人をどんどん吸収し、最終的にトレインは6人になっていた。
ジョイフルで休憩したのもあり、ゴールには午前4時すぎに到着。
ゴールタイムは89h19となった。
そしてなんとなんと。自分には主担当のユウコさんからサプライズが。
2日目に自分があやねーさんとやりとりしていたのを見て、自宅にあった在庫のひらめきをプレゼントしてくれたのだ!めっちゃうれしい!
個人的完走メダルとしました。
なんか走行中は余裕がなくて九州グルメ満喫というわけにはいかなかったけど、いま自宅にはデーリィサワーとひらめきがある。なんと幸せなことか…
ひらめきは博多での慰労会で早速活躍↑
まとめ
そんなこんなな1200kmでした。
振り返ると、やはり1200kmで90時間というのは他のBRMとは違う時間の流れ方があるなと。平均すると13.3kphで進行していればよく、かなりのゆっくりペースでもゴールには辿り着くことができる。
今回も、時間を目一杯使って計画したので、全体としてみれば危なげのない走行だったのではないかと思う。事前の予報では雨模様だったにもかかわらず、本番が近づくにつれ天候も晴れ予報に変わり、また何故か全体を通して追い風基調の時間帯が多かった。走ってる間も、「べいさん、このRMを落としたら完走できるRMないよ、こんないい条件滅多にない」と言い合っていたほど。本当に天候には恵まれた4日間となった。
唯一、3日目の深夜に土砂降りがやってきたことは、難易度を上げる結果にはなったと思う。ここでやめた人もそこそこいるとか。ゲーム設定としては絶妙なふるい落としだったかと。自分は上手く凌げたほうかな。
4日目はRマリオさんに曳いてもらったのでまったくカウント外。めっちゃ楽をさせてもらいました。
今回の獲得標高は10000mほど。PCの制限時間設定もあってか、PBPよりも難易度は数段下だったように思う。平坦区間がとても多かったので、あまり時間について心配する必要がなかった。
大休止も多かった中で、まがりなりにもホテル滞在3時間ずつを確保できたのには、平坦で押せる力を最後まで発揮できたのが大きいかなと思う。
練習を人に言うのはダサいのでコソ練ではあったけど、今年に入ってから荒川に出動する頻度を増やしていた。
ローラー練が壊滅的にできない自分。とにかく朝早起きして荒川に行くこと。外で乗ってる分には気持ちよくて自然と出力は増す。
過去にCH1200、そしてキャノボに挑戦した年には、毎日60kmを2時間半で帰ってこれるように荒川へ日参していた。
川で自転車に乗ってもひとかけらも登れない。でも出力が出せるようにしておけば登るのはそこそこでよかろうと考えている。
勢いでは登れるけど、登れるからって平坦を押していくことはできない。
そしてブルべは、基本的に平坦が大部分を占めるのだ。
コース難易度は高くないという判断の上で、自分の完走を妨げるのはなんだろうと考え、ホイールを敢えて鉄下駄で行くことにした。
レーゼロは(替えスポークはパーツとして常備しているとはいえ)いざスポークが折れると続行が難しい。とにかく新しいホイールで行くのがよかろう、ということでアルテグラホイールに交換しての参加とした。
SR600でホイールトラブルに泣かされて2回連続でDNFを強いられた経験から、完走できた奥入瀬で投入したホイールだ。だから今回の完走を経ても600+1200=まだ1800km。これからも、どうしても完走したいブルベには投入することになるだろう…僕の決戦ホイールだ(定価53000円。笑)。
最後に記録しておくべきこととして、各PCの制限時間についてがある。
最初にキューシートを出してもらったとき、制限時間の設定に疑問を抱いた。
自分の知っている計算式と、時間が合わないのだ。
自分はキューシートを受け取ると、走行計画を立てるために上のような通過時間シミュレートをする。
この中で「旧LRM」と書いてあるのが(その当時正しいと思っていた)制限時間の計算式にのっとったものだ。最初の600kmは40時間、次の400kmが35時間、残りの200kmを15時間で、というものだ。
これに従って計算すると、PC2で2時間ほど合わない。変だと思ったのでAJ福岡に問い合わせた結果、制限時間の設定が見直されることになった。
するとどうだろう、LRMのルールは改正されていて、全体を通して90時間で1200km、つまり13.3kphでよいということになったようなのだ。
PC2の制限時間は5時間ほど後ろ倒しされることになった。
これは運営する側にとっては大変な変更だったと思う…自分は今回この変更をめいいっぱい使うことによって、2日目の宿を思い切って55km手前に取ることにした。
もし、ルール変更がなかったらどうしただろうか。
今回の実績をもとに考え直してみたが、PC2までに宿を取ることはできなかっただろうと思う。眠い目を擦ってどうにかPC2に辿り着きさえすれば、あとは借金を抱えても大丈夫だったはず。実際Korea1200では、借金は最大で6時間抱えたが、最終的には返済して(89h59で)完走している。
最終的に90時間という制限時間は変わらないので結果への影響は少ないのだが、しかしあの都城のシラス台地(シラス「大地」と書きたくなる)を無理押ししなければなかったのだな、やはり今回のヤマは阿蘇でも佐多岬でもなく、シラス大地だったなと、思った。
全体を通して、ほんとに楽しい遠征でした。
最後まで読んでくれた人がいるかどうかわからない(いくらなんでも長すぎる)けど、ほんとにRM1200というのはお祭り。迎える側も走る側も、全体が作る多幸感に包まれた4日間。今後も機会を逃さず、さまざまな角度から参加していきたいと思ったし、多大な運営負荷の中開催をいただいたAJ福岡をはじめとする皆様への感謝、そしてこの情勢下で感染者数も抑えられて開催を迎えられたラッキーを噛み締めて、記録とします。
AJ福岡RM飛梅1200 89h19完走。 | ライド | Strava
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