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息子の中学受験 合格発表の日

試験が終了して教室から出てくる息子を待っていた時のことだが、驚いた事に一緒にランチしたお母さんは、貼り出された試験問題を携帯で塾に報告していた。
そして、試験日の朝A学園に到着した時に正門に沿った道路の向かい側の歩道に並んで見ていた母子の集団は、翌年受験するどこぞの塾の5年生の母子達だということもわかった。
中学受験は塾と親が一致団結して頑張るものだと、何かに書いてあったが、自分はそんな感覚になった事は無かった。
それに、おじいちゃんの介護でそれどころじゃなかった。
息子にしても、毎晩神頼みしてご飯をお供えするだけ。
予習も復習もほとんどしないので、しまいにはキレて怒鳴ったくらいだ。
『こーらー!早く過去問やらんかーーっ(!!メ)』
バキッ!(>x<(☆○=(●△●゛#)
     (↑は、しなかったはず…??)

試験が終わって合格を確信するまでは、なんか場違いのような気がした。
この学校で息子はやっていけるのだろうか?
いや、息子は大丈夫だろうが、この母σ(^^;)がいちばん心配だった。
そんな母の不安にはお構いなしに、A学園合格発表の日がやってきた。
その日はI学園の入学金20万円の納入締切日で、万が一手続が間に合わなかった時の為、朝イチで息子の父親に振込んでもらった。
いわゆる「滑り止め校」は合格した生徒の多くが御三家に流れるので、その対応は大変なようだった。20万円は高いと言えば高いが、当時の私たちにとっては息子の希望を第一に考えてのことだった。
息子が受験したのは4校だった。
1校目は、関東近県で一番早い受験日1/20の当時住んでいたM市に近いI学園である。新校舎が完成したばかりで大学並みの広々としたキャンパスは、男女共学になってはいたが、穏やかな校風で歴史があって授業もしっかりサポートしてもらえそうだったし、何より受験会場がポケモンのイベントなどで良く遊びに行った幕張メッセだったので、3000人もの受験者数でも気軽に受験できたようだ。
2校目はS幕。家から近かったがゼミから依頼されて受験しただけで、息子は合格はしたが発表は見に行かなかったし入学手続きもしなかった。
3校目がA学園で、地頭と運を必要とし、更に【減点方式】の一発勝負的な受験力を必要とする学校が、息子には向いていたようで、無事合格をすることが出来た。

ついでに告白しておくと、4校目である「優良校に落ちた生徒を拾おうとする試験」と思われる、本当の意味での「問題を解く力」を必要とする2月3日のW中の2回目は、残念ながら不合格となった。


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