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担任の先生のやりがいは離任式にわかるかもしれない。

「担任(の先生)のときにはわからないけれど、担任じゃなくなると手を焼いていた子どもたちがすごく可愛く見えるようになるんだよ。」と前に母が言っていた。

離任式当日だった今日、「あぁ、これか。」と思った。母が言っていた言葉の意味を実感した。

初めて担任をし、慣れない中で、必死に子どもたちと関わり、保護者対応をして毎日20時、21時に帰るのが日常だった。残業代がでないとかそんなことを考える暇もなく、必死で働いていた。
数ヶ月して少し余裕も出てきたら、残業代も出ないのに仕事量は変わらなくて、大変だなーと言う気持ちが強くなった。毎日毎日、授業でふざける子どもたちとの体力勝負だった。できれば子どもたちが面白がる授業をしたい。そうすれば体力勝負だって少しはましになる。そう思っていたけれど、もう、その時間が取れない。しんどいー。そんな日がかなりあった。

でも、離任式に出て、一学年上がった子どもたちが私を見つけるやいなや「せんせー」と言って駆け寄って喜んでくれる。私はサーカスの見せ物になったかのように子どもたちがわんさか集まってきて、廊下の人口密度が急激に上がった。

離任式後、子どもたちがいる教室へ向かった。わあーっと手を振ったり再開を涙を流して喜んでくれたりする子どもたちがいた。その姿を見て、あぁ、そうか、担任ってのはこれがあるから続けるんだなと思った。

子どもたちが少しだけお兄さんお姉さんになってるように見えるし、「ありがとう」って言ってくれるし、寂しかったと言ってくれる子もいるし…
これはどれだけの大金を出されても得られない経験と気持ちだなぁと思った。私と子どもたちで過ごした時間がくれたプレゼントのようなものなのかなと思った。

残業はできるだけしないようにしていくべきだし、働いているときから担任の先生にもっと心の余裕があったほうがよい。大変な経験をしたほうがよいなんて思わない。でも、振り返ったらかなりしんとい経験をしていたことに気づいて、それらを含めて、今日は、今だけは「担任をしていてよかった。」と、そう思った。