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伝わる前に、あきらめる

自分の考えを、他人に伝えることは、いくつになっても難しい。
私も、自分の想いを言葉に変換するのが下手だから、言葉にした時点で「あ、これちゃうわ」と思って、それ以降に続く言葉が出て来ないこともある。
けれども、だからといって、自分の想い、考え方を他人に伝えることをあきらめることは、ちょっと違うと思う。

1人、私と同じように、自分の想いを上手く言葉に変換できなくて、イライラモヤモヤしている人を身近に知っている。
自分が思い描いている事を相手に伝える適切な言葉が見つからなくて、苦しそうにしている時がある。
そして、その人は、大抵そうなった時、途中で伝えることをあきらめる。
なぜだろう、その瞬間が伝わってくる。それまで、あれでもない、これでもない、ともがいていたのに、ふっと引く瞬間があるのだ。
引いたら、自分の想いと合わない言葉を発することはないから、イライラしない?
いやいや、そんなことより、自分の想いや考えを外に出せなくなって、内側でグルグルして、私には不健康に見える。(本人に直接聞いたことないんですが)

私は、あきらめが悪いので、自分が伝えたいことが相手に伝わるまで、話したいと思って言葉を探す。ただ自分が言いたいことを言うだけじゃ満足できない。相手に自分の意図が伝わったどうかまで、がセット。
「またその話?」って苦笑いされても、私は話す。話し続ける。厚かましさ満載だ。そこに、かっこいいも悪いも、羞恥心は無い。つながりたいとか、わかりあいたいとか、そういう熱血漢なわけでもない。どうせなら、お互いが知っている事から、最善策を導き出したい、お互い新しい知識を得られたら素敵だな、という想いからだ。
人との付き合いは、そういう部分にこそ醍醐味がある、とも思っている。
話すことで、互いの違いもわかるし、共通点もわかる。何も言わなければ、それすら分からない。私がアップルパイが好きなことも、最近アッシリア美術のレリーフにいたく感動したことも、自分から外に出さなければ、自分以外の誰にも伝わらない。

結局のところ、自分の想いと言葉を近づける方法は、繰り返し訓練するしかないのかな、と思う。
自分の想いに寄り添った言葉を探すことが苦しい時も、なんとか言葉をつなげてゆく。そうして、自分の想いと口から出てくる言葉の距離を近づけることを何度もしてゆけば、そこの距離は縮まってゆく気がするのです。

うまい言葉がみつからない。
だから黙るのか、それでも喋り続けるのか。
どちらにしろモヤモヤするのなら、私は喋りたい。


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