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たくさん思い出し、彩り豊かな間柄へしていきたい

昨日の予告通り、お昼にトンカツを食べてきました。

それはもう豪快にムシャムシャと食らい尽くして。え?写真は無いのかって。何口か食べて落ち着いてから、ようやく思い出し。

うわっ、撮ってない。どんだけ楽しみにしてたんだ。しっかり味わって参りました。ルンルン楽しかったー。

テンションの上がったわたしは、関西ではお馴染み551も夜に食べたんです。

久々に食べたからか、食センサーが鋭敏になってたからか、ふと思い出したことがあって。

551はお店の人が一個ずつ豚まんを作ってます。中の餡となるお肉をとって、外側の生地で包んでと、手作業なのです。その様をガラス越しですが、観察できる店舗がかつて近所にありました。

幼いわたしは、理由は分からないけど、その作業行程の観察そのものが、面白くてたまらない。なんぼでも見てられる。それこそ「次の分が蒸し上がるまで1時間かかります」て言われようもんなら、「じゃあここで見て待ってる」と言ってのけた。今となれば、びっくり仰天の発言です。

で、思い出したんです。わたしが「待つ」と言ったとき、「よっしゃ。ほな待とう」て母が言い、一緒に付き合ってくれて。ね?びっくりでしょ。

わたし自身も大人となり思う。なんで待ってくれたの? 大人の母さんにとっては苦痛で、「なんやねん、この時間」て思うほどに無意味な過ごし方だったろうに。どうして引きずって帰るでもなく、わたしの意思を尊重してくれたんだろう。

それってもしかして。でも間違いなく、愛じゃん。愛でしかない。答えを導き出したとき、ジーンと心に沁みてきて。ふんわり温かい気持ちになりました。

母を振り返ったとき思い出すのは、報酬系と言いますか。ギブアンドテイクのようなことが多い。

もう端的に言っちゃうと、出来るわたしは愛される、ダメなわたしはバツ。ダメな時は、そりゃ叱られるさ。そんな印象が強く残ってる。

出来てようが、出来てまいが、そんな事に関わらず、母さんはわたしを大切に思ってた。わたしがすっかり忘れてただけ。ううん、埋もれさせてたんだって。

故人となった母へ、色々と確かめる事はもう出来ないけれど。こうやって発掘するように、彼方にしてた思い出を、これから先も呼び覚ませたら。そうやってたくさん思い出して、「彩り豊かな間柄だったんだよ。いいも悪いも、いっぱいあった濃い関係なんだよ」てしたいなぁって。

そんな風に思ったのでした。

では また

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