迷惑に対する考え方が、少しやわらかくなったよ
キッカケとなった出来事は忘れたのですが。幼きころ、強く決意したことがあります。
「わたしは他人様へ、迷惑をかけない人間になる!」
そりゃもう、とっても思って。理想の大人像でした。
昨日のこと。偶然Nekojaさんのこちらの記事を読み、びっくりです。え?なんだって?! 驚いてちょっとの間、固まったなあ。
呆然の静止からリスタートするや、俄然読みふけりです。こりゃもう詳しく知るっきゃない。フガフガと鼻息は荒め。
河野太通さんの著書「ありがとう すみません お元気で」をご紹介されてて。すぐさまKindleでダウンロード。
まだ読んでる途中ですが、自分へ染み込ませたい考え方が満載。本日は響いた箇所、特に「迷惑」についてご紹介します。
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いかがですか。文中の太字だけを抜き出しました。プスッ、プスッと小さな矢が刺さり、最後にドカンと射抜かれませんか。ひえええー、おっしゃる通り。読んでてわたしは観念の境地でした。
河野さんは続けて、こうおっしゃいます。
お互い様、か。自分も相手も、せせこましく判定するように、私はいつの間にかなってて。互いに牽制し合うような。抜き差しならない感じに、そういえばなってたな。しんみりと気づきです。
この後の一文は太字ではないのですが、最も感動して。
迷惑をかけない人間に、私はなるんだ。そう言ってしまうのは、カッコイイようにも聞こえるけど。その実、余裕が薄く、息苦しくもなる。
考えてみれば無意識のうちに、わたしは誰かの負担となること、しんどいこと、傷つけることをしてるかもしれない。「かもしれない」で今日を終えれてるのは、許してくれた誰かがいたから。しゃーないなーと思ってくれた、誰かの優しさがあったから。
こんなこと書いてて、明日からもきっと、誰かに傷つけられたり、負担を強いられた日にゃ、目を三角にしてわたしは怒ります。そう簡単には変われない気もする。
でも自分に今までの皆んながしてきてくれた、恩を思い。最後は「まあ、もうしゃーないか。ほんま、でもなんでやねん」て、前向きあきらめの姿勢で受け取ろうかな。オオーイて相手へツッコミながら、一緒に解決へ向かってみるか。
そして自分が気づかぬうちにしてしまう迷惑へ、不安がるんじゃなく。「すみません、ありがとうございます」の心を忘れずにいたいなって。深めの呼吸をするように、しっかり自分へ届けようと思います。
では また
追伸 Nekojaさん、すてきな考え方をありがとうございました!
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