書くことで自分の本音と、真正面からぶつかってやるんだ
わたしは書くことで、自分の本音と真正面からぶつかってやるんだ。余さず全部受け止めるんだ。最近とても思ってて。
ある日のこと。自分の思わぬ癖に気づいたんです。昂(たかぶ)った感情であるほど、わたしは誰かへ照会してしまう。「ね? そう思うよね?」てチラッと周りを伺い、「この人も同じように思うなら大丈夫だ」と安心探しをしちゃう。そんな依存度高めのやつ。わたしは何をやっとんねん。頭を抱えたなあ。
自分が思ったなら、ましてや心が震えるほどに感じたなら、それでいいじゃん。ていうか、それっきゃないし。すごく、すごく思う。思うんだけど、突き抜けらんない。
強く感じたことほど、その傾向は顕著。まごまごしてしまう。そりゃ幸せがどんどん目の前を素通りするわけだ。自分へ脱力です。
だから肝心なことほど、すぐさまの行動へ移れない。あとで地団駄踏んで、大暴れするほど欲しかったものを、瞬間でためらったがゆえ、取りに行こうとしなかった。例えば自分の欲求とか、相手との関係性など。運悪くとも言えるかもだけど、その運を手から離したのは誰なのか。
この問いが浮かんだとき、「あっ。わたしじゃん」て思い当たるところがあった。チーンて沈む思い。
自分の人生を変えたい。目の前のことを「掴まない」とする自分じゃなく、「選び取る」自分になりたい。
書くことは、誰かが介入し得ない、どこまでも「自分」と「自分」で繰り広げる会話。誰かの顔色に影響されず、己の本音がポロんとこぼれ出てくる場所。
何に忖度してんだろ。誰に配慮しようとしてんだか。思いに正解も不正解もなくて、何を思ったとていい。強さとか、整合性とか、外側の基準を持ち込んで、ギッタギタのメッタメタに自分の意見を切り刻まない。
思ったこと、感じたことは、何かによって変えるもんではなく、そのままに己が受け止めること。
ど真面目に、でもわたしにとっては、すんごく大切なことに気づいたなって。自画自賛で思ってるのでした。
では また
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?