『彼らは生きていた』感想(2020/7/30)【転載】
(インスタから転載)
They Shall Not Grow Old (2018)
directed by Peter Jackson
『彼らは生きていた』
これがどのくらい凄い映画かというと(以下コピペ)
《第一次世界大戦の記録映像をピーター・ジャクソン監督が再構築し、ドキュメンタリー映画として蘇らせた。2200時間にも及ぶモノクロの映像を修復・着色し、バラバラなスピードだった映像を1秒24フレームに統一させ、リアルさを追求した。撮影当時はセリフを録音する技術がなかったため、イギリスBBCが保存していた600時間もの退役軍人のインタビュー音源をナレーションの形で構成し、映像と音声を合成した。また、足音や爆撃音など、効果音を加え、一部の兵士の声は新たにキャストを起用し、読唇術を用いて当時のなまりのある話し方まで再現した。戦場での兵士の戦闘だけでなく、休憩時や食事の風景など日常の様子も盛り込み、これまで誰も見たことのなかった鮮やかでリアルな戦争記録映像を再構築した。》
正直、戦争映画やドキュメンタリーを観るほど元気ではなかったのだが、これは劇場で観ないと後悔するなと思った。
戦争映画は何本も観ていたけれど、本物の戦場の映像を観るのはほぼ初めて。戦争写真も興味があって写真集を持っているが、カラーの映像で見るのはかなりきつかった。
「1914年8月、ドイツのラグビーチームと食事をしていたら、ドイツが宣戦布告したというニュースを聞いた。『このナイフであいつらを殺さないとならないのか?』と思ったものの、相談してとりあえず普通に過ごすことにした」
当時は現代のように「戦争=悪い」のような認識はなかったんだろう。戦争を伝えるメディアも限られていたはずだし。
十代の少年たちは興奮に飲まれ、ボーイスカウト感覚で志願する。
「志願時に『3月に15歳になります』と言ったら『別の誕生日を言え』と言われ、18歳だと言ったら入隊許可が出た」
「街で女の子に『志願しないの?』と言われ『17歳だ』と答えると『みんなそう言うのよ』と臆病者を表す白い羽根を渡された」
「国中で漂う興奮から、愛国心が燃えてとにかく敵を殺してやりたいと思っていた」
実際の戦場はとにかくつらい。『1917』はかなり精巧に作られていると思ったけどもっと無秩序。
時折はさまれる負傷兵や死んだ兵士、泥に埋まった死体、腐りかけた死体、そんなのに囲まれていたら参ってしまう。
「砲撃を受けている時、突然誰かが叫び声を上げ始め、将校が『やつを撃ち殺せ』と言った。叫び声を聞いた敵兵に気づかれるのではないかと彼も必死だったんだ」
「砲弾坑に隠れていたら、隣の仲間にお前のシャベルが狙われていると言われ、次の瞬間に彼の頭がふっ飛んだ」
「あまりにも多くが死に、彼らは顔のないただの死体だった。砲撃が落ち着くと、将校が『死体を塹壕の前に積め』と指示した」
「太ったドイツ兵の死体から腸がはみ出ていて、誰かがそいつにパイプを咥えさせて『起きろ!』と言い、みんな笑った」
イギリスといえば紅茶だが、「銃身が熱くなるため周りに水を入れ(うろ覚え)、撃ち続けると沸騰するので紅茶を淹れた。入れ物はガソリンタンクで、何度洗ってもガソリンの臭いがした」という逸話にイギリスの紅茶魂を感じた。
たまたま隣にいた奴と親友になる、みな親さを求める、という話をよく聞くが、すぐ死ぬかもしれない人間と仲良くなるのはつらくないんだろうか。仲間が死ぬ度にしんどくなりそうだから、私なら誰とも親しくしないかも。一人の方が耐えられる気がする…。
お互いしんどいのは分かっているから、生身の敵兵に対する憎しみは感じなかったらしい。
「ドイツ兵を銃剣で刺し、胸を撃った。気の毒になったので酒を飲ませてやると „Das ist gut“ と言って息絶えた」
「捕虜になったドイツ兵はたいてい良い奴らだった。お互いの言葉が分かる人間がいたので、身の上話をしたり『こんな戦争は無意味だ』と話し合った。見張りすらつけないこともあった」
終戦後、「祝杯を上げようにも紅茶しかなかった」にはさすがイギリスと思った(あとイギリス軍がタピオカ食ってたの初めて知った)。
重要なのは帰国した兵士たちへの無関心や冷淡さ。就職しようにも「帰還兵お断り」なんて書かれていたりする(なぜそこまでするのか調べねば)。
「同情しなければという考えそのものが、我々の経験への不理解を表していた」
「知り合いの男が言った──『あんた、最近見かけなかったがどこにいたんだ?』」
この部分でヨーゼフ・ロートの『ツィパーとその父』を思い出した。
「戦争から帰ったとき、僕たちは疲れ果て、半ば死んでいただけではありません。
無関心そのものになっていたのです。
今でもそうです。
我々は我々の父親たちを許さなかった。
それは、僕たちがおのれの場所を獲得する前にもう僕らの後ろに詰めかけてくる、僕たちよりも若い世代を許さないのと同様です。
僕たちは許さず、僕たちは忘れる。
もっとうまく言えば、『我々は忘れない、我々は何も見ない。我々は注意を払わない。我々はいずれでも構わない』のです。
人間の、国の、そして世界の運命、そんなものは我々に何のかかわりがあるのです?
僕たちは革命をやらない、僕たちは受け身の抵抗をするのです。
僕らは激昂しない、嘆きもしない、防御もしない、なにひとつ期待せず、なにひとつ忘れない──自分から志願して死に赴かぬ、それがすべてです。
我々の父親たちとまったく同じようになってしまう世代が、やがて生まれてくるのを僕らは知っています。
そうなれば、もう一度戦争になるでしょう。
僕らは、世界の悲しい出来事を苦にしている者たち──ちょうどあなたがたのような──戦争に行かなかった人たちの態度と、そして、何ごとかを改善し、変化させようという意思の病に苦しんでいる若者たちの態度と、いずれも笑うべき気取った態度を観察しています。
もし何の関心も前提としないのが懐疑だと言えるならば、僕はこう言ったでしょう。
「僕らは懐疑主義者だ」と。
たしかに僕らはおよそ何の関心も持ちません。
あなたがたは情念を嘲笑う。
僕らはしかし諧謔も信じません。
あなたがたは反動を嫌う。
僕らは革命の成果を疑う。あなたがたは何が望みなんです?
──僕らは間違って帰ってきたのですよ」
(『ヨーゼフ・ロート小説集1』 平田達二・佐藤康彦訳 鳥影社(1994) )
それにしても、「自分で考えずにただ指示に従っていた」というのがなんとも…。こういう戦い方の戦争はしばらくは起こらないだろうけど、これは色んな人が見た方が良いドキュメンタリーだと思った。
年齢詐称した十代の兵士たちは、生き延びても三十代でWWIIを経験する羽目になると思うとやりきれない。
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