『アイヌモシㇼ』感想 (2020/11/3)【転載】

(インスタから転載)

『アイヌモシㇼ』 福永壮志 監督

すごく良かった。
現在のアイヌを描いた映画。役者もほとんどがアイヌで、本名で演じている。
終演後トークショー?があるとは知らず出てしまうという痛恨のミスをした…。

アイヌについては刺青!金カム!孤立した言語!レベルしか知らなかったので、観る前にとりあえずwikiでアイヌに関するページを読んでふわっとした知識を得た。あとYouTubeでアイヌの音楽をざっくり聴いておいたので「知ってる曲だ!」となって面白かった。

なんというか、自分が日本で暮らしている日本人である限り大枠でマジョリティである、ということを忘れてはならないなと思った。マジョリティは自分がマジョリティであると認識していないからマジョリティである。

観光客に「日本語お上手ですね」と言われた主人公の母が「頑張って勉強したので!笑」と鉄板ギャグのように返した場面、典型的な無神経なマジョリティの偏見を感じてしんどかった。現地に行くなら多少前知識を入れよう(調べない人の方が多いのか?)。
実際には教室に通ったり、儀式の時もカタカナのアイヌ語と下に日本語訳の書かれたメモを見ながら行うくらい、生きた言語ではなくなっている。

少し前に、アイルランドの口伝の物語が失われている(文字で残されておらず、金にならないため受け継ぐ人がいない)という話を読んだが、どこでも同じようなことが起きているんだなあ…文化は大事と言っても少数民族の力だけではどうにもならない。すでに力のある民族に叩き潰された後…。
『ウィンドリバー』でも、娘を悼むためにネイティブ・アメリカンの父親が顔にペインティングを施すが「これはデタラメだ。儀式を教えてくれる人がいなかったから、自分なりの弔いだ」のようなことを言っていた。

アイヌの文化を守る兼観光地としてアイヌコタンの人々は生活しており、たまに外部の人間(研究者?)が「アイヌの歌を残したい」とやって来たりする。
『サーミの血』でも民俗学か何かの学生がサーミの女の子に「トナカイ追いの歌を歌って」と言ったりしていたが、少数民族やその文化が一種の見世物のように扱われるのは、もちろん認知されるのは大事なんだけど、なんとなく、何かがずれているような気持ちになる。いや、興味あるから自分もやっちゃうとは思うんだけど…それに近年における祭りってどこもほぼパフォーマンスみたいなものだけど…。
(少数民族に関する知識がほぼ映画というのもなんだな…)

私はそれなりにマジョリティである日本人で、日本で暮らしている限り自分のエスニシティについて悩むどころか考えることはほとんどない。でも自分の民族の文化を知っているかと言われるとかなりあやふやなので、「そういうとこやぞ」ってことなんだろうな…もっとちゃんと勉強しよう…正直、清少納言が仕えていたのが彰子か定子かもあやふやである…(日本史苦手)。
日本人の母数が多いから詳しい人にぶん投げてしまっているけれど、こういうテンションの少数民族も、文化を守りたい人と同じく当たり前にいるのだろうな…。

「クマ」「儀式」というと某エセ北欧祭りがちらついてしまう側の人間なのだが、終盤は全然思い出さなかった。子熊がすごく可愛くてしんどかった。(※実際に送られてはいない)。

余談。
「ㇼ」が文字コードに対応していることに驚いた…笑
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