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はじまりの記憶

ハナコの最初の記憶はぼんやりとした自宅を含めた集落を屋根くらいの高さから俯瞰しているような感じの映像だ。ハナコの家は2軒つながりの長屋で隣は叔母一家が住んでいた。自宅から数分歩いたところに父が働いている工場があり、家の前には工場で使う木製のパレットなどがいつも雑然と山積みにされていた。玄関を出て左手には一本のイチジクの木があり、その横で父が2坪ほどの小さな畑でサラダ菜を作っていた。何もないところから、石で囲いを作って、土を入れて父がゼロから作った畑だ。「サラダ菜っていう野菜ができるんや。」って得意げに父が言ってた。サラダ菜って今ではスーパーでも売っているありふれた野菜だけど、その頃のハナコにはカタカナの初めて聞く名前のその野菜はとてもハイカラなものに思えた。畑の向こう側に小川が流れていて、時々父や近所の大人たちがどぶさらいをして掃除をしていた。ハナコや近所の子ども達はイチジクの実を取ったり、小川に葉っぱの舟を流したりして遊んでいた。

家の壁沿いに角を曲がると小さな小屋があって、それは近所の人と共同で使う2つのお風呂の小屋だった。うちのお風呂は叔母一家と一緒に使っていて、隣のお風呂は幼なじみの一つ上の女の子一家が使っていた。幼なじみとお風呂の前で出会ったりすると、隣のお風呂に一緒に入れてもらうこともあった。

自宅の斜め前は弟と同級生が住んでいて、その子には妹がいた。名前は今でもはっきりと覚えている。乳母車にのっていた小さくてかわいい女の子。でもハナコはその子の名前を声に出して言うことはできない。

ある日、その子が風邪をこじらせて死んだ。と母から聞いた。遠くからあの子死んじゃったんだとその子の家をぼんやり見ていると、おうちの人が玄関でガシャンと何かを割っていて、とても悲しい気持ちになったのを覚えている。母が人が亡くなったら、その人が家に戻らずお空に無事にいくために生きているときにその人が使っていたお茶わんを割るんだよと教えてくれた。それからしばらく経って、自分の家の玄関で誰かがお茶わんを割っている映像を見た。それが夢だか現実なのかわからない。ただ、それから今までずっと、ハナコはあれは自分のお茶碗じゃないのかと思うようになった。だから大人になった今でも怖くて親にもあのお茶碗は誰のものだったのかを聞くことができないでいる。

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