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vacant

■眠いなぁ。本当はこんなもの書かないでさっさと寝る準備して寝てしまいたいんだ。大して書くこともないし。書くことある?逆に?アルカナ。大アルカナ・小アルカナ。あるような気がしてきたカナ。西野カナ。大丈夫カナ?カナカナカナカナ…っつって。

 カナカナカナカナって言えば、そういえば僕、ヒグラシの鳴き声を聞くのが本当に好きなんですよねぇ。夏の夕暮れに響くあの切ない鳴き声を聞いているだけで、嗚呼、生まれてきてよかったなぁと思えるんです。まだ親元で暮らしてた頃は、夏になると家族でよく佐渡島のコテージに5日間くらい泊まりに行っていて。冬はどうだか知りませんが、夏の佐渡の海というのはそれはもう穏やかなものなんですね。波なんてほとんどなくて、本気でテトラポットまでクロールして泳いで、泳ぎ疲れたらビーチで体を乾かして、そんで最後は浮き輪でただプカプカと漂いながら島の遠くを眺めて、そのうちヒグラシの鳴き声が聞こえてきて、そろそろ帰る時間だなぁと思う。あの時間が僕の中では永遠を意味しているんですね。生きてるって空っぽでいいんだよーっていう。まぁ、バカンスなので、本当にvacantなんです。その空っぽの空気に響き渡るヒグラシの鳴き声が、僕の中では生きる意味にもなってる。あれがなかったら生きていても仕方がないよな。そう思わせてくれるんです。これはもしかしたら望郷の感覚に近いものなのかもしれませんね。どなたにもあるのかなと思いますが、望郷の感覚というものは、これが正解ですとかそういったものとは違う極個人的な感覚なんだと思うんですが、きっと僕の中ではあのヒグラシの鳴き声に心の故郷を見出すのだろうなということであります。

 とまぁこんな感じで大して中身のない文章を捏造することを毎日の日課とすると決めた私ですが、果たして本当にこんなことをしていて意味があるのか?何かになるのか?そう思わない日はないですね。やっぱり貴重な時間を使って、やれ、もう休みたいんだよ俺は、というそういうタイミングにならないとこれを書く暇がないので、どうせやるなら例えば金になるですとか、何かこう、実になるアクチビテイなのだということを実感したいものですが如何せんそうも行きません。ただやっぱり、ドラマとかを見ていても思うのですが、僕がグッとくるのって、葛藤している人なんですね。戦っている人なんですよ。あ、もう、この人戦ってるな、そう思うと、涙が止められないんですね。最近すごく涙もろいんですけど、要するにそういうことなのですね。つまり僕は葛藤の中から何かを見つけ出したい。葛藤したい。中間管理職になりたいんですよ。全ての仕事は何かと何かの間の中間管理なんです。僕のこの文章もきっと何かと何かの中間管理なんです。板挟みなんです。なんでこんな話になったのですか?わかりません。眠いなぁ、とか書いていただけのはずだったのですが。この言葉遣いも、一体なんなんでしょう?私は誰なんでしょうか?この話はいつまで続くのでしょうか?後ろでカミさんが今にも眠りそうになっています。僕は彼女に歯を磨かせてあげないといけません。だからこの辺で文章を終わらせないといけないのです。せっかく指が乗り始めてきたこのタイミングでです。なぜ?人生っていつもこうです。指が乗り初めてきた頃には終わらせないといけない。あー、寝息が聞こえてきた。いけない。もう限界だ。今日はここまでです。ありがとうございます。読んでいただき、ありがとうございました。

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