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紆余曲折

遂に引っ越しが決まった。第一希望のところで決まったのでよかったと思う。今住んでいる場所とは街の雰囲気もかなり変わるし現在の職場からはだいぶ離れるので、また僕自身が影響を受ける土地のオーラみたいなものもかなり変わってくるのだろうと思う。

 今までの自分の中になかったモードを生み出したいと思ったら、住む場所を変えるというのはシンプルで、そして強力な手段だ。僕は26歳の時に初めて実家を出て、その時を含めて5年間でこれで4回目の引っ越しだ。結構頻繁に引っ越しているなと自分でも思う。引越しの理由は様々だが、選んだ部屋に根本的な問題があってというようなことではなく、基本的にはライフイベントの進行に伴ってより適した条件の部屋を探して行っている形になる。

 ここで少し僕の引越し遍歴を見てみたい。まず幼少期の頃まで遡れば僕は最初は神奈川の公団に住んでいた。今思い返すと、結構部屋数も多くてそれなりの家賃がしたのではないかと思う。かなりドカドカ遊んだり、ほぼ新築だったはずの部屋の天井にボスボス穴を開けて兄弟でゲラゲラ笑ったりしていたので、当時の親の心境を想うと悪いことをしたと思うがあまり怒られた記憶はない。さすがに気づかなかったということはないと思うのだが。許されていたのかもしれない。
 そして7歳の頃、小学2年生の時に今の実家に家族で引っ越した。僕は肉体的にはその家で大人になったと言える。ちょうど20年間くらいだな。そこで何があったのかをここに書くには狭すぎるというやつだ。まぁ、僕という存在の基礎部分が形成された家である。
 そうこうしている間に僕は大学を出て、「ほかにやりたいこともないし、まだ自分の中で納得していないことがあるからそれを探求したい」ということで一切の就職活動はせずにフリーターをやりながら音楽を制作していた。この音楽制作というのも正直この時は自分はこれで食っていくとかそういうような感じではなかったと思う。ただ納得のいくものを作りたいというだけのことだった、し、結果として2年間やってみて完全に納得のいくものは遂に出来上がらなかったのだが、この時これをやっていてよかったなと後になって思ったことも多かった。この経験によって得たものは測り知れない。まぁ、やってる時はかなりしんどかったが。
 話が逸れてきているが、もう少し続けよう。そうこうしている間に僕は一人で音楽を作ることを投げ出してしまった。知るか!となってしまい、目線を変えてみるという発想も時には必要だなと感じてそれまで音楽だけで絞って考えていた活動範囲をもう少し広げてみようかな、とブラブラしだした矢先に高校時代の後輩から「今は音楽やってないのか、ドラムはもう叩かないのか」という連絡が入り、そのままバンドを組んだ。色々あったがほぼ一人でパソコンと向き合うという半引きこもり生活をしていた僕にとってやっと組めた4人バンドは刺激的だった。中高生の時に夢見ていたようなバンドが突然現実になった、そんな気分だった。
 組んでから1年くらい経った頃、遠征の帰りの、他の二人を車から降ろした朝だっただろうか、ベースが「ルームシェアしない?」と言い出した。彼はこの時仕事をやめ社宅を出て実家に帰っており、まぁ一度実家を出てから自分が望んだわけでもなく実家にもう一度出戻るというのは若干辛いものがあったのだろう。僕も正直実家を出るタイミングを見計らっていたこともあり、よし、やろうと思った。
 それから二人で部屋を探して、何かあった時のために二人の実家に行きやすく、また職場にも行きやすく、また盛り場にも出やすいという、そんな都合のいい立地があるわけねぇだろと思っていたら、あったのである。そうして僕は横浜を出て川崎市民になった。僕はこの部屋で人と暮らすということの本当の意味を知った。そして大人になるということの入り口に立ったのも、この部屋だったと思う。
 その後1年半ほどでベースはバンドを抜け、子供ができたので結婚するという報告を受けた僕は、それではとりあえずこの部屋に住むのが一番いいだろうと考え、自分は出て新しい部屋を探すことにした。今度は今まで密かに夢見ていたロフト付きの部屋に住むことにした。この部屋は天井が非常に高く、とても1Kとは思えないような開放感のある部屋だった。まぁ実際住んでみたら壁がめちゃくちゃ薄くて隣人の咳払いまで全部聞こえるという環境だったのだが、こんな線路脇の部屋に住んでるんだしお互い様だろうと思い僕はあまり騒音は気にならなかったが、やっぱり録音したいなと思ってる時に隣から通話会議の声が聞こえてくるのは辛かった。
 そして、この部屋に越してから2ヶ月ほどでバンドは事実上崩壊したのであった。これも今思うと不思議なこともあるものだと思うのだが、当時結構髪が長くて、それが突然無理になった僕は自分で自分の髪を切るという暴挙に出たところ初めは良かったのだがだんだんめちゃくちゃ虎刈りになっていってしまい、当時付き合いたてだった今のカミさんに家に来てもらって手直しをしてもらうもどうしようもないということで数年ぶりに盛大に短髪にしてもらったその次の日のことだったのである。あの時自分で自分の髪、バンドマン時代の象徴とも言えたあのロン毛を切ろうと思ったのは、何かそういう、自分では気づかないような断髪式となっていたのかもしれないなと思う。人生にはそういうことがたまに起こるのだ。不思議なものである。
 そうこうしている間に当時付き合っていた今の嫁さんと、やはりバンドがなくなり一人でいるのはしんどいなぁという時にそばに人がいてくれるというのはありがたいもので、正直付き合い始めた当初はすぐに別れるだろうと考えていたのだがなんか話は聞いてくれるし、なんなら結構込み入った面倒な話も付き合ってくれるので、この人と結婚すればよくない?みたいな気持ちになったので、結婚しようということになり、じゃあ結婚するならとりあえず同棲しようということになり、再び1年待たずに次の部屋を探すことになった。
 ちなみにこの間に僕は以前の職場でコロナにかかった時の対応に呆れて置き手紙を残して去り、次の仕事に就いていた。その職場の立地と、もちろんカミさんの仕事場の都合もあり、もう少し川崎の東京よりに住むことになった。それが今の部屋である。この部屋には1年と半年ほど住んだ計算になる。いい部屋だと思う。夏になると花火大会が部屋の窓から完全に全部見える。今年は花火大会の前に引っ越すことになった。

 正直僕は、横浜では体と脳みそは大きくなったが、精神的に成長したのはここ川崎でなのでそういう意味では離れるのは少し寂しさもあるが、今度は都民になることになった。川を渡ったのかと思いきや、完全に逆側から都内に侵入する形になる。これまで川崎市内で3つの場所に住んだが、どれも移動距離としては近く、街の雰囲気も大きく変わるようなものではなかったが、今度は完全に違う場所に移るので、精神的な影響は大きいだろうと考えている。ある意味この効果を狙って少し遠くに引っ越したかったというのもある。正直なところ、僕は今まで、今日こうして記したようなタイプの自己開示の仕方をできる人間ではなかった。こうしてかけるようになったのはやはり妻の影響やこれまでの人生経験、また毎日こうして文章を習慣として書くようになったからというのもかなり大きいと思う。だからこの習慣は続けていきたいと思っている。僕は文章を書くのが好きだ。もちろん曲を書くのも好きだし詩を書くのも好きだ。絵を描くのも好きだ。とにかくその広がりの中心、源泉的な部分にこの毎日の文章を書くというのを置いてみようと思っている。言葉による認識は全ての源でもあるからだ。だからこそこうして毎日書いていく中で自分の中に変化が起こっているのを感じるし、その変化に今回の引越しでブーストをかけたいと思っている。

 今は人生に不安はなくて、楽しみな部分が大きい。もちろん色々考え出してしまえば、はたから見たらツッコミどころ満載なのはわかっているが、実際どうにでもなると思っていれば本当にどうにでもなるということもわかっているので、まぁどうにでもなるんだろうし、どういう仕方でどうにでもなるのかが楽しみだというところまである。そうして変化していく自分を見ていきたい。自分の中でこれまでの経験から培われてきた全てがどういう風に芽吹いていくのかを見たいと思う。そのために今回の引越しがある。もちろん実際にこれから人生がどう流れていくのはわからないし、自分の中でどうしてもこれにこだわりたいというものが出てくるかもわからない。しかし、人生に遅すぎるということはない。普通の人生を生きてる人は普通の人生用の言葉を信じていればいい。しかし僕は普通ではないのだ。普通に普通ではない人なので、普通の人の考え方を今更とってつけたように導入したところでどうにもならない、OSが違うのだから。僕には僕用のOSがあるから、それをアップデートしていきたい。そうすれば自然と、その時の僕に必要なものが僕の前に現れるだろう。今はそう感じている。

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