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自分が「発狂」していることに気付かなかった一日

長くても半日ほどの短時間ですが、ぼく自身が「発狂していた」経験が何度かあります。

一番鮮明に覚えているのは……

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もともと不眠症のぼくはその日も朝方まで眠ることが出来ず、ベッドに寝転んでぼーっと天井を眺めていたんです。

そしたらその天井板に、どこからか丸くて赤いぼんやりとした光が投写され、ぼくの大好きな映画『Mr.インクレディブル』の次回作予告映像が流れてきました。たいへん手の込んだ面白い内容で、「さすがPIXAR!」と感心しながら見ていました。

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気がつけば外を走っている車が、スピーカーから「本日9時よりMr.インクレディブルの予告配信!」という宣伝文句を流しながら走ってるのが聞こえてきます。何台も何台も続けてやってきます。すげーなPIXAR、こんなに大胆で手間暇かかるキャンペーン仕込んできたか、と思いました。

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そんなことを考えていたのでやっぱり眠ることが出来ず、もういいやとベッドを抜け、週刊誌を読み始めました。

そしたらふとした瞬間に気づきました。週刊文春の、桑田佳祐さんがもっていらした連載ページを傾けて注意深く読むと、各行の文字が上手に繋がって、ぼくだけに分かる暗号文が組み込まれていたのです。びっくりしました。桑田佳祐がぼく宛のメッセージを隠し入れている! これ、文春編集部も知ってるんのかな!?!?

このあたりで家人が起きてきたので、その文春のページを見せながら、「見てこれ、すごい! 斜めにして見てみて! ちょっと太くなってる字を繋げたら暗号文になってる!」と、驚きを共有しようとしました。が、彼は全然分かってくれませんでした。

あまりに分かってくれないので、あとでもう一度見てもらうために詳細を記録しておこうと、彼に頼んでその説明をスマホで録音してもらいました。そのときの早口で興奮気味の説明音声は、まだ彼のスマホに残っているはずです。

しばらく彼といろいろやりとりしたものの埒が明かず、そうするうちに時間が来たので彼は仕事のために家を出て行きました。「あーあ」って感じでした。

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で、そのあと、急に周辺に大きな違和感を覚えました。

部屋の中のものが、本来あるべき遠近法をすべて無視するかのように、歪められていたのです。

昨日まできちんと水平で垂直だったものが、今は壁も天井も上下が斜めになっていている。本棚も歪んでいる。長方形であるはずのテーブルはよく見ると台形に改造されている。あろうことか、一夜の間にベランダまで改造してあって、他の部屋より一回り小さくされている。身を乗り出して隣の部屋のベランダと見比べても、明らかに形が違う。

あ、わかった。これは、彼がテレビのドッキリ番組かなんかとグルになって、ぼくを騙そうとしているんだ、と察知しました。

いや、でもさすがにこれはやりすぎだろう……そう心配したぼくは、マンションの管理人さんにそれを説明しに行き、丁寧な口調で「ちゃんと許可を取ってあるんでしょうか?」「終わったら元に戻せるんでしょうか、お隣に迷惑をかけていないでしょうか?」などとお聞きしました。管理人さんは何も知らされていなかったようで、とても困惑した顔をなさっていました。

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……ホントはこれらの間にもっといろんなことがあったのですが、長くなるのでやめておきます。とにかくみんながみんな、ぼくに暗号を送ったり、ぼくを騙そうとしたりしていました。


結論をいうと、おそらくですが、何かの離脱症状だったようです。

お恥ずかしい話なのですが、ある時期ぼくは、かなりの量のアルコールと睡眠薬を常用する生活を送っていました。

ぜんぶ、それが起因となった幻覚、妄想でした。

ちょうどその日、かかりつけのクリニックに行く日だったので先生にこの一連の出来事を報告しましたら、「あなた、それ幻覚ですよ。離脱症状だと思いますよ」と言われ、そこで初めて「自分が発狂していた」ことに気づきました。

家人のスマホに残っている録音は、今は聞く気にもなれません。いつも親しくしていただいているマンションの管理人さんにまで不審がられるようなことをしてしまったこと、一生の不覚です。


でもね、怖いのは、そのクリニックからの帰り道、外から自分のマンションを見て、それでもまだ「あ、やっぱりベランダは改造されてるじゃん……歪んでる」と思ったことです。他の部屋と見比べ、正確な視覚情報を得た上で、自信を持って、そう思いました。

「自分が狂っていた」と知った上でも、まだ自分が狂っていることに、気づけなかったのです。

もしかしたら今もまだ私、ずっと発狂しっぱなしであるのかもしれません……。

#創作大賞2024 #エッセイ部門

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