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音楽は感覚派か理論派か

曲をコピーするにも、作曲をするにも、この2大派閥についてどちらが優れているかとか話題になると思います。
自分の気持ちいい音を並べることを優先して組み立てていく感覚派。
一度頭で理屈を考え、納得してから構築していく理論派。
今日はこの話題について僕が思ったこと、実感したことを書いてこうかと思います。

周りのバンドマンは感覚派が大多数

よくライブの打ち上げや飲み会でギター弾きなのでギタリストバンドマンと
意気投合することが多いですが、みんなこぞって感覚派でしたね。
1人がガチガチの理論派くらいで….理論派は肩身が狭い印象です。

コピバンのライブでギターの再現度がえげつない人がいて、「どうコピーしてるんですか?」と聞いたら「ひたすら聴いて一致する感覚を探すんです。ずれていたら気持ち悪いのでそれが無くなった時、正解としています。」と言っていてそんなスピリチュアルが入ったこと言う人いるんだとその時は思いました。でも、その発言は納得でその人すごい音感が良いんです。なるほどなあ。

逆にオリジナル曲を作曲してライブするタイプの人にもすごくキャッチ―な曲でいいなあと思う人がいまして。
一回曲のフレーズのタネみたいなのを作っているシーンに出くわしたことがあって、「あ、この音列を弾いたらこの音に行きたい、これかな?あ、違うな、これか?あ、これだ」と音を感じながら自分の気持ちいい感覚にフィットさせる光景がすごく印象的でした。
そのフレーズがすごく良い感じで、でもドレミファソラシドのドの字も出てこないで作るのはまさに感覚派だなと思いました。笑

音感が無かったから理論でどうにか

じゃあ、自分はどっちなんだと言われますと、理論派だと思います。
思いますというのは、理屈でどうにかするしかなかったからですね。
僕はあまり音感が良くありません。今は多少マシになったかなと思いますが、まだまだ耳コピするのに時間がかかります。なんなら間違ってても人に指摘されるまで気づいてないかも。

耳コピができないもどかしさから、音楽理論を勉強しました。
曲の根幹は調性(キー)を基準に成り立っていて、
ダイアトニックコードからコード進行を作るのが基本、
メロディはドレミファソラシドのメジャースケールから音を選ぶのが基本、
というのを少しずつ学びました。
学習してからは、曲をコピーする時、なんとなく音を聴いて「このキーだから多分 ミ かな?合ってるぽい気がする」と判別していくことができました。
作曲をする上でも「キーをこれにして、emoぽいのを書くなら今までのリファレンス曲をコピーしてきた印象で IV V VImのコードは頻繫に出てきてたな..」とコード進行を決定できたり、
「IVのコードでソがなるとなんかいいなあ…あ、IVの9thがソだからか」とかメロディを構築する根拠になったりとより確実に作れていった気がします。

結局は感覚+理論ハイブリッドが理想

ただ、こうやって頭でっかちに理論でいくと、ワンパターンな曲しか作れなかったり、スケールから外れた音が1つでもでてくると途端に耳コピしたものが違うんじゃないかと思考の渦にのまれてしまうことがありました。

僕が一番悔しかった思い出があります。
僕は結婚していて音大出身の奥さんがいます。
曲の耳コピを奥さんと一緒にするというようなことをしたことがあって、
その時、
僕が「このフレーズはドレミでしょ!」と言ったものを
奥さんは「違うよ、ソラシだよ」って指摘されてしまいました。
結構、音楽理論を学んできた自負がその時ありましたのですんごく納得できなかったです。
でも確かに、頭で考えることをとっぱらって何度もスロー再生して聴くと「ドレミ」として認識していた音達が「ソラシ」に聴こえ出しました。
その現象がなぜ起こったかというと、曲のキーの認識がまるまる4度ずれていたからでした。(キーがCではなくFだった)
無力感を感じた思い出で今でも思い出します。

奥さんは聴音という耳コピのお堅い版の授業を楽器を始めた頃から受けていました。言うなら音楽感覚派10何年選手です。(もちろん音大なので音楽理論もガチガチに学んでいますが)
音楽を本格的に学ぶ機関でも感覚を培うことを学ぶという事実を知って、
やはり理論のみでは音楽はやっていけないんだなあ、表現に限りがあると感じましたね。

自分の気持ちいい感覚で弾けたら次のフェーズでなぜ気持ちいいのか理屈を考えるこのハイブリッドが一番理想だなと思いました。

結論、感覚派 理論派どちらが優れているかじゃなくどちらも必要みたいです。

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