チェッコ機銃は使われていたか

「中国軍」といえば、チェッコ機銃である。
中国政府軍(国府軍)だけでなく、中国共産党軍(以下、中共軍)でもチェッコ機銃は使用されていた。

しかし、本論で主張したいのは、中共軍はチェッコ機銃を大量配備していないということだ。
また、そもそも中共軍は軽機関銃をそれほど装備していなかった可能性が高い。
そして、装備している軽機関銃も、チェッコ機銃ではなく十一年式軽機関銃のほうが数的に主力であると思われる。

日本軍将校の証言

華北で小・中隊長として戦闘を経験した元日本陸軍将校は、八路軍の装備について以下のように回顧している。

(中略)命中精度の悪いまちまちの小銃を持っているだけで、たまに日本軍から奪った十一年式の軽機関銃がある程度だった。チェコ製の軽機関銃は我々にとっても脅威だったが、それにはめったにお目にかかれなかった。

藤原彰『中国戦線従軍記』岩波現代文庫、71ページ

この証言では、チェッコ機銃よりも十一年式のほうが、やや数的に多いということが示唆されている。

また、軽機の保有数は少なく、日本軍のように1個分隊に1挺の軽機を装備していた可能性は低い。

約200名の中共軍と交戦したものの、彼らの装備する自動火器はチェッコ機銃1挺であったという証言もある(『燦たり石門幹候隊  第11期甲種幹部候補生の手記』産業新潮社、p110-111)
つまり、ここで証言者が対戦した中共軍は、1~数個中隊に1挺の軽機しか装備していないようなのだ。
(なお、証言者は「例のチェコ機銃の軽快な独得(ママ)の音」と証言しているため、他の種類の自動火器を誤認した可能性は低い。)

中共軍の「戦闘詳報」

我々は今日の物質条件下に於て砲兵と軽機関銃の火力を重視するは誤りなり。

飯沼部隊「他山の石」『偕行社記事』偕行社、昭和16年、第803号、101ページ。

上記は、日本軍部隊が鹵獲した中共軍の戦闘詳報(百団大戦)の抜粋である。
文脈としては、砲兵や軽機ではなく、手榴弾と銃剣で「敵を消滅」すべきという趣旨の記述だ。
問題となる「物質条件」が具体的に何なのかは記載されていないが、おそらくはモノ(弾薬や兵器)の不足だろう。

弾薬が少なく、配備数も僅かなため、軽機関銃に大きな期待をするなということだろうか。

写真からの推定

中共軍には、沙飛という専属のカメラマンがいた。

彼の撮影したとされる写真を中文のwebで見ていると、チェッコ機銃が写っているケースは極めて少ない。
そして、十一年式軽機を装備した兵士が写っているケースは意外なほど多いのだ。

上記の主張は定量的に表現できると思われるが、ここでは「感想」だけを述べる。

十一年式軽機が使用された理由

チェッコ機銃ではなく十一年式軽機が使用されていた理由も検討しておきたい。

中共軍は武器の獲得を、鹵獲に依存していた。
そのため、敵の兵器が自己の装備となる。
国府軍との戦闘が頻繁に発生せず、日本軍が主敵となると、敵である日本軍の装備が中共の装備となったようだ。

当時の写真を見ると、小銃も日本の三八式が中心だったようである。

証言・写真の問題点


本論では、証言や写真を論拠とした。
最後に、その問題点も述べておきたい。

中共の軍事組織は、正規軍・地方軍・民兵と区分されており、それぞれの装備は大きく異なった可能性が高い。
また、時期・地域によっても、装備に違いがあるだろう。

そのため、証言は、あくまでも証言者の時期・場所に限ったものである点に注意が必要である。
また、沙飛の写真についても、同様のバイアスがかかっていることを留意したい。

今後の課題

アジ歴を使用して、中共軍の編成に関する日本軍史料を分析する必要がある。
これらの史料も、何らかのバイアスの影響下にあることは否定できないが、多角的に検討することは重要だろう。







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