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フリーライターはビジネス書を読まない(59)

先輩の下宿

3年前、短大を出て地元のデザイン事務所に勤めていた柳本聡美は、地方公務員の男と交際していた。男は女人禁制の男子寮に住んでいたが、寮監の目を盗んで柳本を連れ込み、一夜を過ごすこともあったという。

ところがある日、柳本は、理由が分からないまま突然別れを告げられる。諦めきれない柳本は男に「もう一度会いたい」と電話をかけたがすぐに着信を拒否され、メールアドレスも変えられた。寮に行ってみても、寮監から「外に部屋を借りて寮を出た」といわれ、引っ越し先は教えてもらえなかった。

思いつめた柳本は仕事が手につかなくなり、やがて心を病んだ。
自宅や職場で奇行が目立つようになり、何度も自殺未遂を繰り返すため、柳本の母親が決心して「保護入院」という名目で娘を精神病院へ入院させた。
柳本が入った病棟は、患者を保護するため窓には鉄格子がはめられ、外部へ通じる扉には鍵がかけられていた。

柳本は「周りの患者たちを見て、こうなってはいけないと思いました。その想いだけで、自分を保っていた感じでした」という。

そんなある日、ひとりの男が柳本の見舞いに訪れる。
「短大時代にアルバイトしてたデザイン事務所の先輩で、歳が11も上なのに『付き合ってくれ』って告白されたことがありました。もちろん断りましたよ(笑)」

その男は、病院の環境を見て「このままだと、聡美はここで死んでしまう」と強い危機感を抱いた。
「それは、後から聞いたんですけどね」
そして2度目の見舞いに訪れたとき、柳本にこう告げた。

「籍を入れるよ。ここから出るには、ほかに方法がない」

医師が処方する薬の作用で、柳本は意識が朦朧としていた。
「どう返事をしたか、はっきり覚えてません。でも、それから間もなく退院したということは、YESっていったからなんでしょうね。たしかに、あの病院から早く抜け出したかった……」

その男が今の夫だという。
「弱みにつけこんで結婚したとか、周りからはいろいろいわれたみたいです」
もともと愛情のない結婚といったのは、そういう意味だったのか。

「そういうわけで籍を入れて一緒に住んではいますけど、実態は夫婦とはいえない生活です」
ふむ……、どんな言葉を返すべきなんだろう。映画かドラマのストーリーを聞かされているみたいな気分だ。

「私を病院から出すために籍を入れただけなので、離婚も簡単です。イヤだといっても、離婚届を書いてもらいます」
柳本の言葉には強い決意がこもっていた。それが正しいのか間違っているのか、結婚にいたる経緯を聞いたあとでは判断しかねた。きっと世間的には柳本が間違ってるのだろうけど――。

ずいぶん長い時間、話し込んでいたようだ。気が付けば、日が西に傾いている。さすがに風も冷たくなってきた。

「そろそろ行かなくちゃ。晩ごはんを奢ってくれるらしいので」と柳本がいった。京大の院生だという先輩のことだろう。
柳本夫婦と、小学校時代の先輩で初恋の相手は、これからどんな展開になっていくのか。私が気にしても仕方のないことだが、いずれまたメールで何か知らせてくれるかもしれない。

不思議なオフ会はこれでお開きとなった。
別れ際、ふと気になったので何気なく聞いてみた。
「ところで、宿はどこですか」
聞いたところで、押しかけるつもりはない。別れの挨拶ついでだった。

「先輩の下宿です」

(つづく)

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