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ぶらり関西みて歩記(あるき)

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東海道は五十三次、すなわち街道沿いに53の宿場があったというのが一般的な認識だ。ところが実際には五十七次あって、枚方は56番目の宿場として栄えていた。
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#東海道五十三次

ぶらり関西みて歩記(あるき) 守口宿

〔第1回〕 今も残る小高い土地は、秀吉が築いた堤の名残「文禄堤」 京阪本線・守口市駅近く…

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枚方宿〔最終回〕 大阪は右へ、京は左。「宗左の辻」の道標。 枚方宿本陣跡から、京街道を北…

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枚方宿〔第6回〕 大名行列の見物人が押しかけた「枚方宿本陣」 意賀美(おかみ)神社の梅林…

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枚方宿〔第5回〕 古墳の上に建つ意賀美神社と戦国時代から生き続ける巨木 願生坊の前を、小…

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枚方宿〔第4回〕 戦国時代までは寺内町として栄えた枚方。都市機能はやがて川沿いの宿場町へ…

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枚方宿〔第1回〕宿場と水運で栄えた枚方宿を訪ねて 東海道は五十三次、すなわち街道沿いに53…

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枚方宿〔第2回〕 シーボルトも訪れたかもしれない船宿「鍵屋」と淀川水運の要衝「郵便屋の渡し跡」 江戸時代全期を通じて、参勤交代の大名行列や商人をはじめ、多くの旅人が枚方宿を通行した。その中には、外国人の姿もあった。 江戸初期にオランダ商館付の医師として来日したドイツ人エンゲルベルト・ケンペル、江戸中期頃に朝鮮通信使の製述官(書記官)として来日した申維翰(シン・イカン)、幕末にはイギリス駐日公使館の通訳として来日したアーネスト・サトウやシーボルトといった、幕末史ではお馴染み

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枚方宿〔第3回〕 「くらわんか舟」の起源は、家康の危機を救った商売人。売り声は、やがて枚…