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#31 「おとなの小論文教室。」を読んで

「世の中には大学を出ても自分の思いを日本語でしゃべれるようにならない」というフレーズが印象に残った。

私は学生時代に、自分の中にある「伝えたい」ものをうまく表現することができなかった。自信もなくて、表現も分かりずらく、伝えることとは何かを学ぶことはおろか、実践する機会もほとんどなかった。

私は、学校にいても空気のような存在で、親しい友達も特におらず、おとなしい子供だったからだ。自分の想いを表現することが恐ろしいとさえ思っていた。私の内面を知られてしまうのが、恥ずかしかったのである。

そんな私が、今、人にものを教える仕事をしている。

なぜ日本人は大学を出ても自分の想いを日本語でしゃべれないのか。私の解釈は、「伝えること」を知識として学んでいない。実践する機会が十分にないからだと思っている。

本書でも、ある大学で30秒から1分のスピーチを作り発表する一節がある。話すこと整理して、いざ発表してもうまく言葉が続かない。でもていのいいオチで終わらせることもしない。そこには、その想いを伝えられない「不自由さ」がある。それでも、ひたむきに内面を伝えようと言葉を紡ぐ。

私が話すことが怖かったのは、他人に嫌われるのが嫌だったからだ。
否定され、自分の価値が無いことを直視するのが堪らなく嫌だった。
ほんとは自分にはたくさんの価値があるのに、それを信じていなかった。

今、表現に悩んでいるすべての人に当てはまるかはわからないが、「どんな人でも生きているだけで価値がある」と信じること。

だから、表現を間違えたり、正しく伝わらなくてもいい。言葉だけが想いを伝える方法でない。その一生懸命に伝えようとする様子が伝われば十分ではないだろうか。時に言葉よりも、その人から発せられる雰囲気の方がよく伝わることもある。

最後に伝わらなくてもショックを受けなくていい。そこが今のあなたの位置であるというだけだ。自分がダメだと思い込むと、放置して何もしなくなる。今の自分を直視して、「次はどうしよう」を考えて、苦しい思いを乗り越えた先に、より伝わる気持ちのいい世界が広がっている。

そう信じて行動してみてはどうだろうか。


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