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この関係を何と呼べばいいのだろう《上》


俺は今、煙草の白い煙越しにベッドで寝ている裸の女の背中をぼんやりと眺めている。

午前2時を過ぎ、街から少しだけ離れた安いラブホテル。

俺はラブホテルが嫌いだ。

シーツのあの、しっかりとクリーニングしました感が漂う匂い。旅館やビジネスホテルでは気にならないものが、あの淫靡な空間では何故だかとても気になって仕方ない。

だから俺は里美を抱いたあと、彼女が眠りにつくのを待ってからベッドを抜け出し、若い女の子の一人部屋にあるような粗末なソファへと移った。


俺は彼女の背中を眺めながら、ぼんやりと考える。

俺はこの女と何故寝るのだろう。

俺はこの女とこの先、どうしたいんだろう。

俺はこの女を愛しているのだろうか。


最後の疑問にだけは、はっきりと答えられる。NOだ。俺は里美を愛してなんかいない。それだけは明らかだ。



里美と出会ったのは3ヶ月ほど前。彼女は背の高いくたびれたスーツを来た中年おやじと一緒にいた。賑わった街のこじんまりとした平日の居酒屋だった。

俺はいつも休みの日にはそうするように、一人で街に呑みに出た。たまに入る居酒屋が2件連続でカウンターが空いていなかった。緊急事態宣言が明けて、みんな平日でも呑みに出て来ているようだ。仕方なく俺は初めての店に入った。

そこの居酒屋もやっと一席空いていただけで、俺は両隣の人と肩を擦り合わせながらビールを呑み始めた。その時に右隣にいたのが里美だった。

里美は既に酔っぱらっているようで、一緒にいた中年男と半分ふざけたような口論をしていた。

俺がお通しを食べようと箸を持ち上げると、彼女の左手の甲に自分の右肘がぶつかった。

「あっ、すいません」 

俺が謝ると、

「こちらこそ、ごめんなさい。私、左利きだからよく右利きの人の邪魔をしちゃうの」

彼女は一瞬だけ本当に申し訳なさそうな顔で、そう言った。

「そうだ、お兄さんにもウチらの話、聞いてもらおう」

「よせよ。他人に話すような事じゃないだろ」

女と中年男が話している。嫌な予感がしたが、逃げる場所などない。

「先ずお兄さんの名前、教えてよ。あっ、私は里美。この人はゆうじ。勇気の勇に漢数字の二ね。勇気なんかこれっぽっちもないくせに、しょうもない。で、お兄さんは」

「哲也。哲学の哲に、なり」

「ふーんじゃあ、てっちゃんね。てっちゃんて呼ばせてもらうわ。私のことは、さっちゃんて呼んでね。こいつはゆうちゃん。オッサンでもいいけどな」

そう言って里美は大きな声で笑った。

「そうだ、てっちゃん見て見て。これ、ウチらの20周年のお祝い。私とゆうちゃんが出会ってから20年なんだ。私がゆうちゃんのも買ってあげたんだけどね」

里美は右手の薬指につけたシルバーの指輪を見せ、勇二さんの左手を取り、お揃いのそれも俺に向かって見せた。

「おめでとうございます」

俺は他に言うべき言葉を見つけられずにそう答えた。

「でね、てっちゃん聞いてよ。この人ね、奥さんと別れてくれないのよ。何回も別れる別れる言っておきながら、もう20年。もうババアになっちまったわ。ウチら、私が17の頃から付き合ってるのよ。この人はその時26歳。もー、別れる詐欺やわ。ほんと私の青春、返して欲しいよ。何度もこの人と別れようとして、何度か別に恋人をつくったりしたけど、その度にゆうちゃんは優しい言葉を私にかけたりして、結局は戻っちゃうの。ねーてっちゃん、このカス野郎をどうにかして」

「てっちゃん、なんかごめんね」

勇二さんは困った顔をこちらに向けて謝った。自分ではよくわからないけど、きっと俺も困った顔をしていたんだろう。

「ちょっとー、なんであんたそっちに謝んのよ。謝るべきなのはこちでしょ」

俺はビールを呑み干し、刺身の盛り合わせと純米酒を冷やで注文した。

「純米は常温しかないけど、それでいいかな」

店の人がそう言ったので、イラっとした。〈冷や〉って言ったら常温に決まってるだろ。という言葉はなんとか飲み込んだ。

「はい。それでお願いします」

先に注文しておいた刺身の盛り合わせと日本酒が俺の前に置かれ、里美がお猪口に酌をしてくれた。

「私、てっちゃんと付き合っちゃおっかなー。ねー、てっちゃんは歳いくつなの。結婚してるの」

「俺はいま43。結婚はもうし終わった」

「し終わったって、離婚したって事?てっちゃん、面白い言い方するじゃん。で、彼女とかいるの」

「決まった彼女はいない。たまに会うコは何人かいるけど」

「なにそれー。てっちゃんもゆうちゃんと一緒でクズ男なのか」

「まあ、そうなのかもしれない。俺はする事したら、朝まで一緒にいるとか無理なんすよ」

「わかるー。その気持ちすげーよくわかる。俺もそう。てっちゃん、握手して」

勇二さんが嬉しそうに俺に手を伸ばすと、里美がその手を払った。

「あんた達、ほんと最低。ゆうちゃんはいつもどんなに遅くなっても奥さんがいる家に帰っちゃうし」

「やべっ、墓穴を掘った」

そう言うと勇二さんはトイレに逃げて行った。

勇二さんがトイレに行っている間に、里美からLINEの交換を求められた。今度また3人で一緒に呑みに行きたいからという理由だった。俺は断る口実を思いつけなくて、それに従った。

勇二さんがトイレから戻って来ると、里美がお店の人にお勘定を頼んだ。支払いも彼女がしていた。

「この人、家族のためにはお金を使うけど、私にはぜんぜんお金を使わないから」

里美が少し寂しそうな顔をしながら言った。勇二さんは聞こえないようなふりをしていた。

俺は席を立ち、二人を見送った。帰り際、里美が濃厚なハグを俺にしてきた。着込んだ服で気づかなかったけど、里美の胸はかなり大きそうだった。その膨らみの柔らかさを感じながら、勇二さんの顔を見た。ぜんぜん気にしてないようだった。

「勇二さん、ここはやきもち妬くとこでしょ」

俺がまだハグを続ける里美の背中に手をまわしながら言っても、勇二さんは、へらへらと笑っているだけだった。

ようやく俺から離れた里美は小走りで勇二さんの元へ行き、腕に絡みつくようにして歩き始めた。

「バイバーイ。てっちゃんまたね」

里美は背を向けたまま、大きく手を振った。

二人を見送って、俺はまた刺身をつつきながら酒を呑む。



一週間後、里美からのLINEが入った。

呑みに行こうよ💗

俺は断らなかった。




《つづく》


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