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山女魚


娘は山女魚を頬張る。

娘は口の中に残る小骨を気にしながらも、塩を振って焼かれたその淡白な旨味を味わう。

父は缶ビールを飲みながら、そんな娘を眺めている。川魚の匂いを洗うように、口に少し含んでは小さくぶくぶくとやり、呑み込んでいる。


父と娘が顔を合わせるのは5ヶ月ぶりだった。娘の小学校が夏休みに入るのを見計らって、父が娘を誘った。父はまた断られることを予感していたが、娘は断らなかった。父の誘いをせめて3回に一度は受け入れようと決めていた。そしてこれまで2回断っていたから、今回はOKしなければならなかった。こんな暑い日に、外など出たくないと思いつつも、自分で決めた規則は破らなかった。

父と娘はJRの駅の改札を出たところで待ち合わせた。娘は久々に会う父親に対して、どんな顔をしたら良いのかわからず、不自然な笑顔を浮かべた。父はなるべく普段と変わらない風にしたくて、ウソくさい笑顔で娘を迎えた。

父と娘は駅ビルの1階にあるバスターミナルへ向かった。父は娘と川へ行きたくて、川の上流へと向かうバスへ乗った。


どこへ行くの?

川。

川へ行って何するの?

わからん。行ってから決める。

ふーん。


父と娘を乗せたバスは川沿いを上流に向かい走る。少し開いた窓からは緑の香りを含んだ爽やかな風が入り込んでいる。父は娘に学校の様子や家での生活について、ぽつりぽつりと質問する。それに対して娘は、うん、ううん、別に、大丈夫、と短い言葉で答える。

終点の温泉街まで行ってしまうと帰りが遅くなってしまうので、父は途中のバス停で停車ボタンを押した。バスは橋のちょうど手前のバス停で停まり、父と娘を降ろした。

父が先に進み、コンクリートの橋を渡り始めた。娘は父の後に続いた。橋の中程まで進むと、娘は父の左手に自分の右手を繋いだ。それが当たり前であるかのように、ごく自然に。

父は少し驚いていたが、それを娘に悟られぬよう、しっかりと娘の右手を握った。橋を渡ると❮山女魚釣り堀❯という看板があった。


おっ、釣り堀だって。釣りしたことあるか?

えーと、お姉ちゃんの友達のお父さんに船に乗って連れていってもらったことはあるよ。わたしはまだ小学2年生くらいだったから見てただけだけど。

ふーん。じゃあ、山女魚は好きか?

どんな魚かよく知らないけど、それって美味しい?

おー、旨いぞ。塩焼きにして食べられる。

美味しいなら好き。わたしね、お肉より魚の方が好きなの。

へー、知らなかった。じゃあ、そこの釣り堀で山女魚を釣って、塩焼きにして食べよう。

うん。


そうして、父と娘は釣り堀に入った。売店で手作りの竿を借り、餌を買った。人工の池にはたくさんの山女魚が泳いでいる。

父は泥のような餌を、竿の先の針に丸めてつけた。その竿を娘に渡す。そしてもう一本の竿にも同じように餌をつける。

竿に括りつけられた糸を揺らし、池に向かって静かに針を沈める。娘も父にならい、池に針を落とした。

父と娘は互いに各々の餌にくるまれた針を見つめる。山女魚は餌の方に近づいてはくるが、餌を少し啄んでどこかへ行ってしまう。


餌の団子が大きかったかな。

餌だけ食べられちゃうね。


父は針を水面から上げ、餌をつけ直す。


今度は小さめにしたぞ。

わたしも、自分でつけ直してみる。

おう、針が刺さらないように気をつけてな。

うん。なんだかこの餌、気持ち悪くて気持ちいい。泥だんご作ったときみたい。


父と娘はまた水面に針を落とした。

ほどなく娘の竿の針に山女魚が食いついた。


おわぁ。山女魚が掛かった。お父さん、どうすればいい?

竿を上げながら後ろに下がれ。待ってろ、俺も手伝ってやる。


父は娘の竿を一緒に持ち、山女魚を引き上げた。


わわわ、魚が暴れてるよー。お父さん、捕まえて。

よし。じゃあ竿を地面に置いて。


父は山女魚を掴むと口の中の針を抜き、池の水を溜めたバケツに入れた。


おー、やったじゃん。一匹目ゲット。じゃあ、俺も負けずに釣るとするか。


娘はバケツの中の山女魚を眺めている。


お父さん、山女魚の模様って綺麗だね。なんかオレンジのラインも入ってるよ。


父はそのあと、たて続けに3匹の山女魚を釣り上げた。一人あたり3匹までというルールに従い、あとは娘を見守った。

しばらくして娘も3匹目を釣り上げた。針を抜くのは自分でやれず、父に頼った。


さーて、こいつを一匹づつ焼いてもらって食べよう。

こんなにかわいいのに、ちょっとかわいそうだね。

じゃあ、逃がしてやって、食べるのやめるか?

ううん。せっかく釣ったんだし、かわいそうだけど食べる。




お父さん、山女魚、美味しかったね。

おう、旨かったな。


父と娘は行きに降りたバス停へと向かって歩いていた。父の手には残りの4匹の山女魚が入れられたビニール袋と、反対の手には娘の手が握られていた。

父と娘はバス停の時刻表を確認した。バスは1時間に1本しか通らない。前のバスは10分前に行ってしまったばかりだった。次のバスの時刻まであと50分ある。


次のバス停まで歩こうか。

うん。


父と娘はまた手を繋ぎ歩き始めた。


なあ、この山女魚、どうする?

お母さんに持って帰ってあげる。


父の手に握られた山女魚の入ったビニール袋の中に、釣り堀で入れてもらった氷はもう殆ど溶けてしまっていた。

父は自分の目の前に山女魚の入ったビニール袋を掲げた。


なあ、この山女魚、家に着く頃にはみんな死んで臭くなっちまうぞ。

えー、お母さんにも食べさせてあげたかったのに。どうしよう。

そこの川に逃がしてあげよっか。

うん。わかった。しかたないね。


父と娘は土手を下り、川の水の流れるところまで歩いた。

父はビニール袋を逆さにして、川の中へ山女魚を返した。

最初浮かんでいるだけだった山女魚が、そのうち3匹はしばらくして泳ぎ始め、背を銀色に輝かせながら川の中程へ向かって去って行った。

しかし、一匹は腹を天に向けたまま動かなかった。


一匹、死んじゃった。

ほんとだね。かわいそう。


娘は落ちていた木の棒を拾い、それを使って土を掘り始めた。


お父さん、そのお魚ひろってここに置いて。


父は動かなくなった山女魚を川の中から掬い、娘の掘った穴へと入れた。


山女魚さん、ごめんなさい。


娘はまわりの土をかき集め、死んだ山女魚の上に被せた。そして土を掘るときに使った木の棒をその上に立てた。


どうか天国に行ってください。


娘は手を合わせ、祈った。

父も娘の後ろから手を合わせた。


父と娘は川の水で手を洗い、その場をあとにした。


再び次のバス停に向かって歩き始めた父と娘だったが、娘の歩くスピードが遅くなってきた。


お父さん、わたしもう疲れてきちゃった。もう歩きたくない。

しょうがねーな。じゃあ、おぶってやるから背中に乗れ。

うん。ありがとう。


父は娘をおぶって川沿いの坂を下った。

父と娘はバス停に着いた。父も疲れていた。日は山の陰に沈みはじめていた。

10分ほど待ってバスが到着した。バスの中で父は眠った。娘も父の手を握り、父にもたれかかって眠った。


バスが駅に着いた。

父は娘を起こし、ふたりでバスを降りた。


駅ビルの階段を上り、電車の改札口へ向かう。父は娘のために切符を買った。娘に渡す。


あー、今日は疲れたな。

うん。でも楽しかったよ。

じゃあ、気をつけて帰れよ。

うん。お父さんもね。

じゃ、また。

うん。また。


娘は改札を抜けてホームへ続く階段へと歩いた。

父は娘の背中を見送った。

階段の手前で娘が父の方を振り返る。

父は手を上げて、その手を振った。

娘も手を振り返した。

娘は踵を返し、ゆっくりと階段を上った。

やがて父から、娘の姿は見えなくなった。

父も向きを変え、家路を急ぐ人の群れへと消えて行った。





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