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株式会社ディー・エヌ・エーを退職しました

2020年10月31日付けで株式会社ディー・エヌ・エーおよび株式会社Mobility Technologiesを退職します(2020年4月1日に事業継承に伴い株式会社Mobility Technologiesに転籍になっているので、正確にはすでに株式会社ディー・エヌ・エーを退職しているのでややこしいですが)。

株式会社ディー・エヌ・エーに中途入社したのは2012年10月1日ですので8年1ヶ月在籍したことになります(ちなみに前職のヤマハ株式会社には9年6ヶ月在籍していたのでやや短くはなりました)。

ということで月並みではありますが、いい機会ですので振り返りと今後のことをまとめてみようと思います。いわゆる退職エントリーというやつです。そして後半はポエムになってしまいました...。多少長くなりますがお付き合いください。

DeNAでやったこと

約8年間、普通のITエンジニアとはちょっと違う、本当にいろんな経験をさせてもらいました。ここでは担当した主要なプロジェクトについて振り返ってみます。

2012年:Groovy / Comm

2012年当時、私はAndroidエンジニアとしてDeNAに入社しました。正直入社できると思ってませんでしたが「君にぴったりなプロジェクトがあるよ」とアサインされたのが音楽配信アプリ「Groovy」でした。

前職のヤマハ時代にはレコード会社のお手伝いをしていたり、約10年間音楽業界に近いところにいたので、転職してしばらく音楽から離れられるかなぁなんて思っていたので「また音楽か~い」と正直思いましたが、音楽が好きで、でもプロにはなれなくて、音楽が嫌いになったこともあったりしたけど、また音楽に引き寄せられたのかななんてちょっと運命みたいなものも感じつつ、当時はまだサービス開発が始まった直後くらいのタイミングでほぼコードが書かれていない状態でした。そんな状態からAndroid版の開発を担当しました。

GitHubを使うのも初めて(ヤマハ時代はSubversionだった)、Scrum(アジャイル)も初めてで、とにかく製造業からバリバリのIT企業に転職してしばらくはスピード感の違いに度肝を抜かれながらも必死で成果を出そうとめちゃくちゃ手を動かしました。

その後いろいろあってGroovyはサービスクローズが決定し開発着手から1年も経たないくらいのタイミングで開発が凍結されてしまいました。「判断早っ!」というのが正直な気持ちでしたが、その後担当したのがコミュニケーションアプリ「Comm」でした。

Commもサービス開始当初は吉高由里子さんをCMに起用するなどして100人以上のエンジニアを投入する比較的大きなプロジェクトでしたが、私が参画したときはどちらかというとメンテナンスモードな状態でした。そんなCommにGroovyのアセットを使って、今で言うLINE MUSICのようにタイムラインに音楽が投稿できる機能などの追加機能を開発したりしました。

2013年:SHOWROOM誕生

同じ部署で同時期に産声を上げたサービスが2つあります。それがマンガボックスSHOWROOM(当時は"Showroom"という小文字表記)です。

代表の前田氏の著書「人生の勝算」でも描かれていますが、2013年11月にサービスローンチする1ヶ月前、本物のアイドルをお呼びして社内のカフェから社内向けに番組を配信するという日がありました。その配信を手伝ったきっかけで翌週からSHOWROOMチームにJOINすることになりました。

たまたま高校時代に放送部に所属していて番組を作ったり体育祭や全校集会でPAをしていた経験があったり、たまたまヤマハでイベントスペースにライブ配信の機材を導入したことがあったりという偶然もあって、ヒカリエの会議室を2つ潰してスタジオを作ったり、配信を増やすために簡易機材の選定・調達をしたり、知り合いの事務所に営業したり、最初の立ち上げ期はまさになんでもやりました。それまで会社のMacにインストールしていたAndroidな開発ツール類はきれいさっぱりアンインストールし、Adobe製品をインストールした瞬間に「あれ?転職したのかな?」と思ったのは内緒です。

ちなみに当時の配信プラットフォームといえばニコ生さんとツイキャスさんがメジャーでしたが、無料広告モデルと月額課金、PPV(ペイ・パー・ビュー)が主な配信サービスのビシネスモデルだったと記憶していて、いわゆる「投げ銭」モデルは日本にはほとんど存在しておらず、営業トークの中で「アダルトチャットと何が違うのか」「この"シャワールーム"っていうサービスは...」などと言われたのも今ではいい思い出です。

その後SHOWROOMは分社化され、SHOWROOM株式会社となってからも出向という形で番組制作やイベント企画に関わりました。制作技術グループというチームを作り日々のスタジオ配信体制の構築やライブ中継などの大規模配信の技術ディレクション、ミスFLASHやミスヤングチャンピオンをはじめとするグラビアや音楽系のオーディション企画、また横浜DeNAベイスターズの試合中継などを担当しました。

特に2015~2016年は年間300現場近くこなしていたので、とてもすべては書ききれませんが、担当した企画・番組で特に印象に残ってるものを書いておきます。

主な担当番組、オーディション

・ニッポン放送「AKB48のオールナイトニッポン」(毎週水曜日25時~27時)
・フジテレビ「ディープガール」(2014年7月~9月。毎週木曜 26:20 - 26:50)
・ミスFLASH レギュラー番組(2015年〜2016年。隔週月曜日21時)

主な担当オーディション

・ミスFLASHオーディション(2015〜2016年)
・ミスヤングチャンピオンオーディション(2014年)
・井上ヨシマサ 歌い手オーディション(2016年)

主なライブ中継

・横浜DeNAベイスターズ 公式戦主催試合生中継(2015, 2016シーズン)
・横浜DeNAベイスターズ 春季キャンプ、秋季キャンプ生中継
・横浜DeNAベイスターズ 新入団選手記者会見、入団会見などなど

東京女子流さんの台湾ライブの生中継にも行きました。

また2014年から新メンバーで活動している東京パフォーマンスドールさんのライブ中継もたくさん担当させていただいて、配信ディレクション・映像のスイッチングを担当させていただきました。この映像はおそらくほとんどが再編集されてますが一部私のタイミングでスイッチングしてる部分が残ってる映像です。ステージ中央にGoProを仕掛けるのがマイブーム(死語)で、角度の調整とか色味の調整とかは私がやってました。

また横浜DeNAベイスターズの記者会見などもたくさん配信させていただきましたが、やはり記憶に強く残っているのは三浦大輔さんの引退会見です。この映像の中央カメラはまさに我々が撮影した映像です。当時何十社もいたムービー報道陣の音声さんがヘッドホンしながら全員泣いていた光景が本当にヤバかったです。野球というコンテンツパワーを再確認できた出来事でした。

その他たくさんの配信を担当させていただいて、新しい才能にたくさん触れることができました。ここではすべて書ききれませんがどれも私のいい思い出になっています。

SHOWROOMを担当した4年間は、ゼロからスタートした事業が音を立てて日々成長していく様子を当事者として経験できた、非常に貴重な経験でした。途中からSHOWROOMのプロダクトオーナーとして主に配信者側の機能改善やアバターショップの企画をするなどして、少しでも事業貢献するべくチャレンジしたこともあります。またそれと同時にエンジニアメンバーのモチベーションを維持して、チームとして成果を出すことの難しさと重要性を再認識しました。

2017年:タクシー配車アプリ「MOV」(のちに「GO」にリブランディング)

4年以上関わってきたSHOWROOMですが、人も増えてきて事業のフェーズもかわり、私の制作技術チームも粒揃いのメンバーになってきたので、そろそろ次のプロジェクトかななんて思っていた頃、2017年にオートモーティブ事業本部に自ら手を挙げて異動し、タクシー配車アプリのハードウェア開発を担当しました。

直近ではタクシーのデジタルサイネージプロダクトを担当し、ハードウェアも新規設計で開発し量産、ソフトウェアもコンセプトやプロトタイプの時から約2年間担当しました。

他にも色々やりすぎていてもはや説明がむずいので、DeNA TechCon 2019に登壇したときの資料と2019年10月31日にMOBILITY:devというイベントで登壇したときの資料を貼っておきます(雑)。

(2024年4月追記: あまりに端折りすぎているので加筆します…)

タクシー配車は「アプリでタクシーが呼べる」というバーチャルとリアルが繋がっているところに一番の面白さを感じていました。きっと一緒に働いていた仲間の多くも似たような感覚をもっていたと思います。

そのためにユーザーアプリ・サーバー・ハードウェア・乗務員アプリ・乗務員・クルマが連動しています。GOのビジネスモデル上、サービス提供者の責任範囲は乗務員に指示をする「乗務員アプリ」までです(少なくとも有人運転の時代においては)。しかしそれだけでも複数のUI・データが協調動作をする必要があります。

そのために必要なハードウェアをすべて私のグループで開発していましたが、中でも後部座席タブレットと呼んでいるデジタルサイネージ端末の開発はかなりエキサイティングな出来事でした。コストダウン・ハードウェアスペック・ソフトウェアスペック・UIなどすべてを決める必要があったからです。

デジタルサイネージが目的なので、なるべく大きな16:9のエリアを確保する必要があり、その周辺に操作UIを配置するという制約がありました。輝度はどれくらいにする必要があるのか、色は何が良いのかなど、ハードウェアスペックの制約の範囲内で、まだ実機がない中で仮のタブレット端末を私の自動車に乗せて確かめたり、デザイナーと一緒に夜や日中にタクシーを貸切して実際に操作してみたり、手触り感覚のあるものづくりができた感覚がありました。

そして2020年4月の事業継承に伴い転籍となり、株式会社Mobility Technologies所属となって現在に至ります。

2020年:横浜DeNAベイスターズ × AI

DeNAには「クロスジョブ」という、主務とは別に社内の別の部署にも関わることができる社内副業制度があります。それを使って2019年12月から2020年6月までお手伝いしていたのが、AIによる横浜DeNAベイスターズのチーム強化プロジェクトです。

上記のサイトの内容は私が関わる以前のプロジェクトのものですが、現在は横浜スタジアムで私が構築したシステムが稼働しています。どこまで書いていいのかわからないのでこのへんでやめておきます。

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特に意味はないですが設置工事のときに撮った写真です。

個人活動

DeNAでは2017年10月にできた社内副業制度「クロスジョブ」と一緒に一般的な副業制度もできました。

だからということではないのですが、私も2019年くらいから他の会社のお手伝いもするようになりました。その第一弾として2019年2月から、株式会社リズムセクションというアーティスト事務所で「卒業☆星」というプロジェクトをお手伝いしています。

またこのコロナ禍でモノづくり系のご相談をいただくことが増えていて、今はリズムセクション含め芸能系2社、IT系2社のお手伝いをしています。若い人が「就職」という形にとらわれず社会との接点を自ら作っていこうとする流れは応援したいですし、今後もっとそういう流れが加速すればいいなと思っています。

また、2017年くらいからOB訪問サービスを通じたOB訪問も積極的に受け入れていて、今では年間100人くらいの就活生と面談をしています。こうした活動も、若い人がどういうところに困っているのかを俯瞰的に知ることができるいい機会なのと、優秀な人に出会えるチャンスということで今後も無理のない範囲で続けていこうと思います。

おじさんになって見えてきた社会の違和感

いきなりマクロな視点になりますが、今の社会は、あまりにもITが主役になりすぎていると感じています。

水を飲むのに水道管がどういう規格でどう接続されているのかを気にする人はほぼいないように、ITももっと裏方になるべきなのではないかと思っています。もっと生活にITが溶け込んだ状態にする。その状態こそが、ITが真の"テクノロジー"に昇華した状態だと思っています。

また、モノとカネの時代は終わりを迎え、環境との関わり方を重視しようとする流れもトレンドのひとつになってきたと思います。コロナ禍の変化は、まさにそのスピードを加速させる変化で、それ以前から起こるべき変化に備えていた会社とそうじゃない会社で、明暗が分かれた形に思います。つまり例えばメガバンクなら安泰、と言う時代はとっくに終わっていて、よくわからない時代に突入してるとおもいます。ロールモデルが存在しない、自分で考えた道に突き進むことが一番の価値になる時代です。

若者にはもっと目線をあげて生活してほしい

PCやスマートフォンは情報に触れるツールとしては優れていますが、インターフェイスが「画面」である以上、その時間は画面を注視していなければなりません。これでは生活に溶け込んだ状態とは言えません。

インターフェイスはもっと進化するでしょう。それによって人間は画面から目を離して目線を上げて、SNS経由ではない本来の人間同士のコミュニケーションに可処分時間を割り当てるべきです。

また日本はこれから深刻な少子高齢化・人口減少時代を迎え、労働人口の低下により税金や物価は上昇し、可処分所得がどんどん減っていく未来が予想されます。そんな時代においては、モノを所有すること自体が満足にできなくなるかもしれません。それくらい時代が変わっていく、その渦中にいるなと実感してます。

なぜこのタイミングなのか

これは書こうか迷いましたが、大事なことなので書きます。

今年の7月に中学の友人が亡くなりました。親友ということでもないですが(天国から怒られそう)一緒に生徒会を頑張った仲で、社会人になってからも突然ドライブに行ったりしたこともあるくらいの仲です。

彼女は私なんかより100倍くらい頭が良くて、大学院卒業後は超大手の印刷系メーカーでスマートフォンや液晶パネルに使われるフィルムで数多くの特許を取得してました(というのはお別れ会で知りました)。

彼女は自殺でもコロナでもなく、病死でした。しかもひとり暮らしの広島の社宅で約2日間発見されず亡くなったそうです。これまでも身近な人を亡くしてはいますが、今回は特にいたたまれない気持ちになりました。彼女は研究開発職なので「来年はこれをやろう」ってきっと思っていたはずです。でも実現できませんでした。もうそういう歳なんだなと思いました。

なので、なぜこのタイミングなのかと言われたら理由はひとつじゃないです。ただひとつ言えることは「来年これをやろう」って先送りするのはやめて「今これをやろう」って決めました。ただそれだけです。

次になにをするか

最後に、私が次に挑戦することを「プロダクト面」と「組織面」の両面で触れておきます。

まずプロダクト面では、大きく言えば「サスティナブルな世界を実現するための仕組みづくり」です。

そして組織面では、それらをスピード感もって実現するための「エンジニア組織づくり」に挑戦します。

抽象的に言えば、どう作るかにコミットしてきた20代、何を作るかにコミットしてきた30代、そして誰と成し遂げるかを40代でコミットしていきます。

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ということで、2020年11月1日からはTEPCOライフサービス株式会社のCTOをやります(2021年5月追記: 現在は株式会社出前館にいます)。

長くなりましたが以上です。飲み会のお誘いもお待ちしております...!(オンラインでもオフラインでも)

今後とも宜しくお願いいたします。


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