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アイデンティティって常にゆれ動いているもんだけど別に良いよね。という話。

私の両親は福岡生まれの福岡育ちですが私が生まれた後に転勤が多かったので、私は福岡生まれ、福岡/沖縄/大阪/東京市部育ちになりました。

親戚づきあいや墓参りは福岡ばっかりですが、義務教育は沖縄大阪東京で受けました。高校以降はずっと東京市部です。

そして、野球の甲子園大会で一番応援する地域も変わっていきました。

沖縄に住んでいたころは親戚もみんな応援するので当然福岡に勝ってほしいと思うのですが、同じくらい沖縄にも勝ってほしいと思っていて両者が対戦する時はこっそり沖縄を応援していました。

その後、大阪や東京へ行ったり来たりの転校を繰り返すうちに、だんだん沖縄代表はまあまあ好きな程度になってきました。西東京や大阪も応援しますが、一番は福岡代表になっていました。自分を何県人だと思うかの帰属意識は状況によって変わっていったからだと思います。年齢が若い程、変わりやすいのかもしれません。

ただし実際は帰属意識を持っていても東京以外で完全に溶け込めたと思ったことはありません。そもそも訛りが混ざっているので、どこに行っても余所者です。経験してきたことも見てきたことの違いを感じて自分は何県人でもないだなと思い知らされてきました。

東京はそもそも自分が余所者でもなんであっても、あまり気にならずに暮らすことができる上に、帰属意識もまあまあ持たせてくれる不思議な地域です。

振り返ると自分にはこれまで沖縄人や福岡人や大阪人や東京人としてのアイデンティティがあって、その割合も常に変わってきていたという事ですが、その境遇はそんなにも珍しいことなんでしょうか?ということです。ずっと純度100%の特定地域で内面を育まれた人の方がイマドキ珍しくないですか?ということです。

そして、とある人が沖縄から東京へ引っ越しても機械的に沖縄への親しみや思いを断ち切って東京人になれるわけなんてないんです。これまで自分を育んでくれた地域、気候、人、味とかその時の喜怒哀楽ってむしろ大事にしていこうとするのが普通です。

都道府県レベルだとこういった話は普通の事です。ところが国籍を越えると急にややこしくなってきます。

故郷や自分のルーツに対して親しみや愛情を持つのは当たり前なことで日本に居ようが帰化しようが色んな自分を育んできたものを持っていて

時には日本以外への帰属意識がメインのアイデンティティとなる時があってもいいじゃないかと思う時があります。

独裁国家の言いなりの移民が大量に押し寄せて国ごと乗っ取られたらどうするんだ!という恐怖も私は一応は持っています。

でも、今日から日本に住む(または日本人になる)んだから、君は日本に忠誠を誓いなさいとか無理な事を言って困らせないようにしたいです。

そこらの日本人よりも日本人っぽくなることもあれば、祖国の人らしさが抜けないこともあってその中で揺れ動いて生きているのが自然であたりまですから。

自分だって国境や人種を越えて移民をする事がいつあるかわからないですから。

みたいなことを安田菜津紀さんのコラムみたいなのを読んで思いました。




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