子供の食べ物を奪う母親なんているのだろうか いる①

駅や商店街などでツバメの巣が大事に保護されていることがある。

親鳥は一生懸命、巣で待っているヒナたちに餌を運び続ける。せっかく捕まえた虫があっても自分の事は後まわしで、先ずはヒナたちに与える姿に親鳥の必死さや愛情が伝わってくる。

蜂やアリなどの虫も女王を中心とする大家族の子供たち(幼虫)の為に必死になって、そこら中から餌を集めて面倒をみている。

親が自分よりもまず子供に栄養のあるもの、おいしいものを食べさせたいという気持ちは人間以外でもかなり普遍的なものというイメージがある。

鳥や虫でさえそうなのに、いわんや人間においては、なおの事…と言いたいところだが

我が家では親が子供の食べ物を奪い続けることがあまりに多く、これまでの親子喧嘩の原因はほとんど食べ物の恨みによるものだった。

そんな親があっていいものか とツバメの巣を見るたびに私は心の中で嘆いていた。かわいい子供から食い物を盗るような親がどこにいるんだ?ここにいる。自分の家にいつもいる。

そして親から自分の食べ物をいかにして守るか神経をとがらせるなんて、他の家の人が聞いたらどう思われるだろうか、ああ恥ずかしい。と思うこともあった。

これはそんな母親に食べ物を奪われ騙され続けた日々のほんの一部(とくに揉めた件)を振り返る話。9割真実で1割盛ってる、ただし9割でも相当なものだと思う。

その1:ザリガニ釣りとスルメ

小学校低学年の時に理科の授業でザリガニ釣りをやることになった。別に池に行くのではなく、校舎内でビニールプールに水をはって、教材用のザリガニを放してそれを釣り上げるだけというもので、釣ったザリガニももらうことはできないし学級で飼うこともできない。それでも当時は近所に水辺もなく、校舎の中庭の小さな池にメダカとスッポンがいる程度だったのでザリガニを見たり触ったりできるのがとても楽しみだった。事前に餌用のスルメを各自用意して当日に持ってくるように担任から言われた。

普段はプリントなどもろくに持って帰らず学校の机にいれっぱなしだった自分も、流石にこれは楽しみだったのでちゃんと親に伝えて用意してもらった。

そしてザリガニ釣りの朝、家を出る前にスルメはどこかと母親に聞いたら

なかなか持って行かないから、いらないと思って昨日食べたと言われた。

それはおかしい、私はザリガニ釣りの日程もちゃんと伝えたうえで一旦はスルメを用意してもらっていたのに。今後もこう言った時に堂々と矛盾した言い訳を宣われるのだが、今回はそれをされた記憶が最古の事件である。

ザリガニ釣りのためにどうしても餌になるものを持って行かないといけない と母親に食い下がった。そうしたら、

冷凍タコの足ならあるからこれを持っていけば?もうこれしかない。と言われた。

少々びっくりしたが、私には選択の余地はなかったし、まあイカでもタコでもいいだろうと思い冷凍タコの足を持っていった。しかし学校でザリガニ釣りを始めて分かったのはタコでは全然釣れないという事だった。一方でスルメは入れ食い状態でザリガニがあっという間にかかっている。タコの足を持ってたのは自分だけなので、即ち、自分だけが全くザリガニが釣れないという悲惨な状況になってしまった。どんなにタコの足をブランブラン振り回してもザリガニは掴んでくれなかった。何が違うというのだ、もしかしたら酢漬けになってて酸味が気に食わないのか?ザリガニなんかに味がわかるというのか?

そうこうしているうちに、あと5分で片付けの時間だと担任から宣告された私はもう釣ることを諦めた。そのかわり、ビニールプールの中に入り込んでザリガニを素手で持ち上げて

やっと捕まえたぞ! と宣言したのだった。

ごつごつとしたザリガニの感触が気持ちよかった。何でわざわざ釣ろうとしてたんだ、つかんだ方が早いじゃないか、と置いていかれていた分、一気にみんなを出し抜いた快感すらあった。

でも気持ちよかったのは一瞬で、すぐさま先生から怒られ、イカではなくタコを持ってきたことについても責められ散々な気持ちになってしまった。タコを持ってきた事は私のせいなのだろうか?何でクラスで一人だけタコを持ってくる運命だったのだろうか?今になっても納得がいかない、

それ以来ザリガニを釣る機会が自分に訪れることは無かった。だけどこういう事を書いていて、低学年じゃない今の自分なら工夫次第で冷凍タコの足(酢漬け)でザリガニを釣れるんじゃないか?と思ったりもしたが、暇を持てましていたとしても大人がやっていいことのラインギリギリな感じがしてしまい、それをやってしまった時の自分姿を俯瞰しながら想像するとドキドキが止まらない。

その2以降は次回書きます。






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