Mackey fan note028「まだ見ぬ君へ」

1996年発売のアルバム「UNDERWEAR」収録の一曲。

洗練された曲が多く人気も高いアルバムのラストということでハードルも上がっていようかと思うが、締めくくりに相応しい曲でトリを飾っている。完全に感覚で一言伝えるならば、なんかエンディングっぽい。映画とかで幸せな結末を迎えた後に流れてくるような、そんな感じっぽいのだ。かといって歌の内容は、恋人と幸せに過ごしてめでたしというような曲じゃない。この曲はタイトルにあるとおり、まだ見ぬ君と出会うことを楽しみにして暮らしている主人公を描いた曲。つまり、誰かを好きになってもいなければ、出会っているわけでもない、要は独り身の男の完全な妄想の歌である。 片思いをテーマにした曲は数あれど、そんな曲はほぼない。

出会ってもないことをテーマにしてこんなに高いクオリティで曲に落とし込めるなら無敵じゃんという感じもする。ただ一つ思うのは、このアルバムはラストの『まだ見ぬ君へ』に至るまでにさまざまな恋愛、葛藤を描いた曲がある、だからこそ、この曲が映えているのだということ。この曲単体で聴けば単なる妄想で終わるかもしれないが、全ての曲を通して聴けば、沢山の人生経験を積んできた人のある種の達観や悟りに近い目線に聴こえてくる。出会いに焦っている感覚はなく、諦めているでもなく、いつか会えるだろうという根拠のない確信を持って、それを希望に毎日を頑張る。今までの槇原敬之とはひと味違うラブソングの切り口が確立されている。

また、このアルバムでは『男はつらいっすねぇ』『どうしようもない僕に天使が降りてきた』『revenge』といった曲でエレキギターを使ったロック風の作品を展開している。この曲でもエレキギターがイントロや間奏で特徴的に使われているのだが、先ほど挙げた曲は登場人物の感情の揺れ動きを表すように激しく鳴っているのに対し、この曲では非常に穏やかな音色を奏でている。ギターの使い方もこの曲の落ち着きを際立たせていて、通して聴いた時の効果的な演出になっている。

悟っているような雰囲気といえば、後のアルバム2作「Such a Lovely Place」と「Cicada」に対しても思う部分がある。サビ終わりの「愛のようなもの」という表現には、後2作品で垣間見える、ラブソングの中にさらっと風刺を入れ込む手法に通ずるものがある。「UNDERWEAR」のトリを飾りながら、後の作品へたすきをつなぐ役目も担っている1曲。

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