Mackey fan note041「ひまわり」

1991年発売のアルバム「君は誰と幸せなあくびをしますか。」収録曲。


重苦しい失恋ソング立ち並ぶ2ndアルバムにおいて、かなり爽やかな印象のある曲調だけど、これもしっかり失恋ソング。初期の声質から来るものか、どうしたって切なさは漂っているけど。失恋した直後、じゃなく、少したって冷静になってから、という曲。というと同アルバム収録の『AFTER GLOW』に近いんだけど、あちらより完全に吹っ切れた感は薄い。

このアルバムは失恋ソングだけでも、失恋直前、直後、少し後、かなり後などなど、失恋のバリエーションがエグめアルバムなので、そういう経験をした人全てに対応するものをご用意しましたという感じ。失恋もなければ恋愛も経験ゼロゼロゼロの自分にはもったいないアルバムだ。きっとこのアルバムの良さの5割くらいしか楽しめてないんじゃないか感がある。

ひまわりをタイトルに冠していながら、急に冬の描写から始まるひねくれ方たまらないな。『冬がはじまるよ』で8月の描写から始まるのの逆。尖りなのか、聴いてて必然的に、ん?と気になる引っ張り方をしてくれてよき。ここの歌詞は冬と夏の対比で恋人同士の気持ちが離れていく様子をさらっと描いてて、情景描写の絶妙さを初っ端で食らわせてくれます。


そんな描写が綺麗なラブソングとしての一面がつよい曲なんですが。僕はこの曲の中で、恋愛とか関係なしにとても好きなフレーズがあります。

ずっと一緒だよって
かわした約束も
今は笑っちゃうくらい
恥ずかしい嘘だけど
そういった僕らの本当の気持ちは
あの時間にちゃんと残ってる

2番のサビにあたるここのフレーズ。
自分が槇原敬之の曲の歌詞で脳裏によぎる事の多い歌詞。

なんか、今思い返せば恥ずかしくなるというか、今と全然違ったなってことはたくさんあると思う。趣味とか、恋愛と関係なく人の好き嫌いでもいいんですけど。対象が変わってしまった(ように見える)事で距離を置いたものとかあったりして。だけど、あの時の自分が好きだと思っていた感情は嘘でもなく間違いなく本当なので、あの時が間違ってたなんて思わず、そっと肯定していければなと、この曲を聴くたびに考える。


ここ最近の槇原敬之を取り巻く騒動もそうで。自分は一連の騒動でアルバム発売が中止になった事以外あんまり大きなショックは受けず、ぼんやりと眺めているのですが。そう居られたのは、この曲のおかげかもしれない。当人がどうなろうと、今までリリースした槇原敬之の楽曲が好きであった事、中学生の時に『Such a Lovely Place』に衝撃を受けて以降ファンを続けている事は後悔もないし揺るぎない。今のところファンを続ける気でもいるのですが、もし仮に何かまたあってファンを続けられなくなる状況になったとしても、これは変わらない事としていられるのは、この曲のこの歌詞を知っているからかもしれない。この歌詞を思い出す頻度は最近多くなった。

まあ、トラウマになる程の記憶を無理に美化する必要もないと思うので、完全に消したいものは消して、都合よく付き合っていますが。迷いが少しだけある時、ひと押しするために優しくあり続けているような言葉ですね。

この曲をリリースした時の槇原敬之は22歳。どこまで想定して書いた。けど、恋愛描写の中にひとつまみ真理めいたメッセージを急に入れてくるのが、この時期の槇原敬之の特徴でもある。のちに進む方向性を考えると、こういう事を一番伝えたくて当時から歌詞を書いていた可能性はありますね。20ちょいにしてこういう考え方を提示出来るってのは化け物すぎる。

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