Mackey fan note042「Name Of Love」

1999年発売のアルバム「Cicada」収録の一曲。

従兄のローリー寺西氏に提供した楽曲のセルフカバーバージョン。

2002年『世界に一つだけの花』がヒットして楽曲提供の依頼も増え、一時は他者への提供楽曲のセルフカバーがアルバムごとに1、2曲入ってるのもざらだった槇原敬之ですが、オリジナルアルバムにセルフカバーを入れる試みはこの曲が初、という記念もの。こういう「で?」みたいなデータを記憶しとくのが好きなもんで書いてみましたが、特に使い道はないです。「へー」ぐらいには思っといて欲しいけど。

擬人化手法というか、意識のない物・事を人のように扱うという歌詞は槇原敬之の曲の中でもたまにある手法だけれども、この曲は「好きな人を思う時の胸の痛み」に、好きな人と同じ名前をつけて可愛がるという、かなり複雑な構成をしている。

そりゃ言葉だけで説明すると気持ち悪いよな。

けどこれをメロディとアレンジでとってもポップに歌えてしまうのが槇原敬之なので、一度聴いてみてほしい。

曲全体としては、叶っていない恋(片思い)の嫌・苦痛に感じる部分を前向きに捉えて楽しもうとする姿が描かれてて。結果的に聴き手の同じような状況に今ある人へも勇気、前向きさを分け与えてくれる。


そんな中でも特に聴きどころになるのがこの歌詞。

叶えたいと願う気持ちもあるけど
叶った気持ちだけが 恋じゃないから

この歌詞本当に良くないですか。

叶わなかった恋って、どうしても暗い終わり方が多いので掃いて捨ててしまうんだけれども、この言葉があるだけで全てが成仏出来るような凄味(さすがにメールで下ネタ言い過ぎて嫌われてしまった恋とかは無理だけど)。叶わなくても恋は恋なんだと。

当たり前のようでいて、言われてみれば確かにそうだよな~というのに気付かせてくれる槇原敬之真骨頂的なのが詰まった最高の歌詞じゃないですか。そういうのを如何にも名言って感じで言うんじゃなく、さらっと端的に表現出来るのもまたいい。

2番のBメロに一番伝えたい事を書いてある」というのが槇原敬之ファンの中ではあるあるというか、一つの説みたいなのとしてあるんだけど、この歌詞はまさにドンピシャ、2番のBメロでキメにきてくれるので印象に残る。


好きなんだけど、あまりにも甘酸っぱ名言すぎて、槇原敬之の歌詞で好きな歌詞は?って聞かれた時はあんまり言う勇気が持てない。

昔、高校の授業で自分の好きな名言を発表するという内容の授業があって、事前提出した紙にはこれを書いたんだけど、みんなの前で口頭でプレゼンする流れになった時、改めて自分の姿をふかんで見た時、自分がこれを口に出す事の恥ずかしさに気付いてだんまりで乗り切った。だんまりで乗り切らせてくれる学校に通っていて良かった。これ以来、秘密にしとこうと固く誓ったのだが、あの時から一貫してこの歌詞は好きだし良いと思ってる。

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