見出し画像

慈悲深くも厳しい神様に捧ぐ(補足1)

昨日統合失調症について私の見解を述べたのですが、薬の副作用による眠気で言葉足らずになり、誤解を招く発言になったことをお詫びいたします。

まず、統合失調症については昔精神分裂症と呼ばれていた頃より気軽に診断がおりるようになったと思います。精神分裂病の診断をおろすには、医者の側に、患者の一生をともに背負うほどの覚悟が必要だったとの記述を読んだことがあります。それほど重篤な病気だったのでしょう。現在統合失調症の診断が下りるのは、100人に1人と言われていますが、病名が変わった事でいきなりポピュラーな病気になったのです。おかしな話です。著名な政治家がこの病気になったことで、診断基準が変わったという記事も見たことがあります。
それらの記事の信憑性はともかくとして、実際に私が入院して体験した感覚で捉えると、精神分裂病と言われた頃から診断がおりそうな患者さんと、そうならないと思える患者さんとは、はっきり分かれるのです。幻聴や幻覚があってもごく軽い人、コミュニケーションを取ってみて、健常者と何ら変わりのない人がいるのです。病名を変えたことで現場が混乱し、統合失調症の拡大解釈で、本来違う病気だった症例を一括りにしているとしか思えません。

話を人間の4つの分類に戻しましょう。
統合失調症の主な診断基準、幻聴や幻覚ですが、神と人間に関しては、これらは絶対神からのギフトで、使い方を知れば、スピリチュアル分野でその威力を発揮するものだと思います。猿と悪魔に関しては、生活に多大な負の影響を及ぼすバグなのではないかと。前世や今世で、八百万の神と人間のギフトを羨んでいじめたり、殺したりした悪魔と猿に、絶対神が与えた恐るべき天罰ではないかと、そんなふうに思えてなりません。

これが私の本当に言いたかったことです。病気に関することは、私自身がまだ渦中にいるために感情的になりやすいです。昨日の記事では、神様に休憩を促されたりしました。その点を考慮していただけると、とても嬉しいです。

ここまで読んでくださってありがとうございました!

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?