初めてのお葬式

父が中国人で母は平民の日本人
小学校3年生くらいの時に父方の祖父が亡くなり、
中国式のお葬式に出たのが初めてだ。
しかし形式がものすごく違うので私は日本の葬式を28になっても
全く知らなかった。

なぜかしら親族がなくなっても呼ばれることがなかったし、
来なくても良いまで言われた。

しかし今回、母方の祖父が92歳で亡くなった。
おじいちゃんは昔は暴力亭主で暴力教師で、
とにかく頑固で圧の強い亭主関白な人だったらしい。

ただ私にはそんな一面は見せたことがあらず、いつもニコニコして
動物が好きで飼育が下手で、大体いつも何か物作りをしていて、
上機嫌なときには何故かオカマ口調で喋るファニーな祖父だった。
芋、キュウリ、なす、スイカ、トマトなど百姓仕事が大好きで
毎日5時に起きて毎日20時には眠り、毎日酒を飲み
癌に罹るまでは愛煙家だった。

しかし今月に膵臓が炎症を起こし、腸閉塞を起こし入院、
「俺は家に帰りたい、家に帰って妻の面倒を俺が見なくちゃいけないんだ」
と体調を悪いことを押し黙って退院しようとし、誤嚥性肺炎でその日のうちにまた入院し、そのまま夜中の1時に亡くなってしまった。

ちなみにじいちゃんとばあちゃんは親戚からのお見合い結婚だ。
家族の都合で結婚させられているらしく、ばあちゃんはじいちゃんが嫌いだった。晩年に至る年までにありえんくらいヘイトをおじいちゃんにばあちゃんがぶつけている。たぶん不器用なじいちゃんは人生においてばあちゃんにとっても感謝をしていたと思われるが、表現の仕方がわからない人であった。贖罪でおばあちゃんの世話を一生懸命していたんだと思う。

そんなこんなで一番幼少期俺がじいちゃんとばあちゃんに甘やかされ
保育園のころはじいちゃんの膝のうえで水戸黄門を一緒に見ていたりしたので、さすがに母親に会うのは大変嫌だがお葬式に顔を出すことにした。
朝の5時に電車に乗って6時に新幹線に乗り地元へ向かった。

すると我が一族の唯一の良心のおばさんが迎えに来てくれたが、
朝から次男の叔父さんと何やら喧嘩をしているらしい。
なんだなんだと思ったら葬式代の関係で大喧嘩だ。

そもそも、祖父母が用意していた葬式代を
長女、つまり私の母親が使い込んでなくなってしまっていた。
大変俺は気まずかった。申し訳ないが、俺の貯金口座は新幹線代を出して¥7000しかない。借金は50万ある。支払えたもんじゃない。
しかも、なにやら叔父さんが勝手に坊主5人呼んでしまった。

調べると正式な葬式では坊主が9人で執り行い、それがじょじょに簡略化されていき9→5→3→1の人数でするようになったそう。調べると坊主への一人あたりのお布施は10万~30万らしく、さすがに笑った。
葬式会場はとても小さく、せっかく家族葬で行ったのになんでコンサート呼んじゃうんだ。ちょっとやはり我々の家系は見栄っ張りで自分勝手だ。

おばさんはもう喧嘩しても仕方がないので、姉弟の他に人を介入させて話し合いするといってた。なんとかなれ~

お葬式は簡素でとても良かった。お別れの儀式はやっぱりいいなと思った。
いとこ達はみんな大人になってた。ギャーギャー叫んで暴れ回ってたやつが会話できるようになってたし、結婚してたりお酒が飲めるようになったりしていた。従兄弟のお父さんが、「またいっしょにのみたかったのに!」といって日本酒をおじいちゃんにぶちかけていた。顔にちょっとだけ水滴が飛んで涙みたいに光っていた。

納骨は私は帰るのが遅くなってしまうのでお葬式だけの参加になっちゃったけど、親戚のみんなに会えて良かったなと思った。お母さんは相変わらずヒステリーをおこしたヒトラーみたいに会話が通じないけど、叔父さんが私の心配をしてくれてうれしかた!てっきり嫌われているかと思っていた。
この間の六月に帰ったとき玄関にお土産のチョコレートを置いていったことを嬉しかったらしい。してみてよかった。

お母さんは相変わらず早く死んでほしいけど、今回のお葬式でみんな元気そうで行ってよかった。従兄弟ともお話ができて楽しかったので、またいつかみんなでお酒を飲んでみたいな。

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