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計画は立てなくても、最後は何とかする(取り入れたいイタリアの考え方①)

おはようございます。今回は、連続投稿ということで僕が取り入れているイタリアの人たちの考え方について書いていきたいと思います。

・計画は立てなくても、最後は何とかする

成り行きを大切にし、緻密な計画をたてず、その場その場で臨機応変に対応する。(一部改)

計画的にコツコツやるのは大事、そりゃそうです。継続することはまとまった結果が出るための必要条件です。

そうはいっても、計画は崩れてしまうものです。何度夏休みの宿題をやる計画を自信満々で作ってそれが破綻したことか。(そして、今でも大学のレポートの締切に追われているという…)

もちろん、短期中期の目標に対して、計画倒れを織り込んだ計画を立て、実行することは効果的でしょう。それを否定する気はありません。逆転を必要としない状況を作っていくことが基本です。

ただ、そのような状況に陥ってしまった時には、「最後は、何とかしてやる!」という考え方を採用してもいいのではないかと考えています。

また、そのようなヤバイ状態をくぐった経験は人の"火事場力"を高めます。

ここで言う"火事場力"とはタイトルにある"最後は何とかする"力に近い概念です。

火事場力の高い人は、締切に追われながら、驚異的な集中力と粘りで問題を片付けます。

高校時代の同級生にも"締切間際に追い込んで追い込んでやる"という考えを持ったタイプは多かった気がします。

それがよく表れたのが、文化祭の準備です。僕が所属していた部はスリラーハウスを作るのが恒例となっていました。

そのために、使う材料とかを集めることはするのですが、教室が会場ですので、本格的な設営は直前にならないと出来ません。

スケジュール、段取り、後輩への作業の説明などがありそうなものですが、その類はほぼありません。

それでも、文化祭の準備期間の日が来ればスイッチが入ります。

三々五々集まる。経験があり「何をすればいいか」が分かっている人から作業をする。その人の作業を見たり質問したりして分からない人も学んでやってみる。できる人が仕上げ作業をする。

計画はゆるっとしか決めず、成り行きを見る。問題が起こればその場その場で対処する。最後は粘って粘って仕上げる。

火事場力のある集団だったし、僕も少なからずその影響を受けたなと思います。

「スリラーハウス作り」という珍しい体験は楽しい記憶としてのこっています。

そして、この楽しさは"火事場"的にトラブルに臨機応変に対処しながら、追い込んで追い込んで「スリラーハウス作り」を駆け抜けたことによるものだと思うのです。

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今回は、「計画を立てなくても、最後には何とかする」という考え方について、自分の高校時代のエピソードと共に書いてみました。

厳しい状況でも、この考え方を採用することで、無駄に慌てることを防げたり、締切効果で集中することができるでしょう。時にはそのこと自体を楽しめることさえあるかもしれません。

「継続は力なり」という考え方をベースにしながらも、時には「最後には何とかする」という考え方も持っておく。このように、複数のモノの見方を持ち、柔軟に行動できるようになっていくこと。これが肝心だと考えています。

ではでは。


《参考文献》
『最後はなぜか上手くいくイタリア人』
(宮嶋勲さん著)

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