がんになった経験
3年前、大腸癌という診断をうけた。
青天の霹靂だった。
まあ、自分のこれまでの生き方を振り返ると仕方ないなあと思うところもあったけれど。
夏休みに受けた健康診断で再検査の通知。近くの病院で念のためと内視鏡検査。そこでポリープが見つかり、病理検査の結果癌であることが判明。
医者から淡々と説明を受け、詳しいことはきちんと検査してからでないとわからないと言われ、何を質問していいかもわからず、冷静だったのか、茫然としていたのかはわからないけれど、ありがとうございましたとお礼を言って病院を出た。
その日は久々に旧知の友達と会う約束をしていた。キャンセルすることも考えたけれど、家に帰っても何をしていいかわからない。土曜日だったので病院を探すこともできない。夫には電話で伝えた。茫然としたまま友人に会い、予約してくれていた店で高級ランチを食べ、心ここに在らずで会話して帰った。全く味がしなかった。美味しい食事をいただくには心も大事。友人の励ましも何も心に残らなかった。
それからは、職場に迷惑かけるなあ。子どもたちには言いたくないなあ。両親にも伝えたくないなあ。私死ぬのかなあ。今まで調子にのってたんだろうな。高いパソコン買わなければよかったなあ。いろいろばちがあたったんだなあ。
本当にいろいろなことを考えた。
頭の中が忙しかった。
ただ、そんな中、自分的にとっても落ち着いたのが、遺影にしたい写真を見つけたとき。そんなたった1枚の写真が死と冷静に向き合わせてくれた。これは自分でも意外な感覚だった。この写真の中の笑顔の自分で思い出してもらえたらうれしいなって。
それから夫にもしもの時はこの写真を使ってと伝えた。
あとは樹木希林さんの本を読みまくった。なんとか冷静に自分を保ちたかった。
今になって思うと失敗したなって思うこと。それは自分の内緒にしてきた貯金のこととか、保険のこととか、全部夫にべらべらしゃべってしまったこと。これは本当にいざっていうときでよかったなって今更思う。
結局は2週間の入院手術で済み、化学療法までは必要ないという診断であったが、再発の恐怖は常に持っている。5年が目処と言われるがまだ3年。半年に一度の検査にもまじめに通っている。
それでも喉元過ぎれば熱さ忘れるで、あれだけ感じたすべての人に対する感謝の念や、生かされていることへの感謝の念が年々薄れてきた。あの時は確かに死と向き合えたと思ったのに。人間は忘れやすい。
最後に、私が仕事を休むとなったとき、古くからの知り合いの人が理由を聞いてくれた。私が「がんです。」と伝えると、その人は一言「ガーン」と言った。なんかそれがとても自然で面白かった。全く腹もたたなくて、むしろ先を越された気になった。よく使われるギャグだが、自分では使うタイミングがなかったのだ。あー、こんな感じでがんでも受け入れていけばいいのだなと思えた。
またそろそろ検査の時期が近づいてきた。
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