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無印良品に教わった「見出す(みいだす)力の大切さ」の話

東京の青山という立地に、「FOUND MUJI 青山」という、ちょっと変わった名前の無印良品のお店があることをご存知だろうか。

いまや日本中にある無印良品も、誕生当時は西友のプライベートブランド。
青山のお店はそんな無印良品の記念すべき1号店だった。
そんな場所をわざわざ改装して作られたこのお店。
もちろんふつうじゃない。

ふつうの無印良品に置いてある、人をダメにするソファなどのラインナップは置いていない。
国内・国外にとらわれずに無印良品の要素をもった道具を見つけ出してくることで商品を揃え、販売を行っているのだ。

2011年。
無印良品で店長をしていた私は、このお店を立ち上げるメンバーになりたくて手を上げた。

面接を受けるために滋賀から東京に行った日のことは今でも忘れられない。
時間に余裕をもって東京に着いた私は、面接の前に改めてお店を見ておこうと思い、青山を歩いた。
店舗に入る前に、念の為に面接の時間を確認。
おっちょこちょいな私は、こういう大一番で時間を間違えかねない。
内定式でも前日入りと勘違いして、ネットカフェで一夜を過ごした苦い記憶は成長の糧にしないといけない。

印刷しておいたメールの文章を確認したところ、時間は間違っていなかった。



ただ、面接会場が・・・大阪となっていた。


「・・・やばい」

おっちょこちょい、ここに極まる。
顔を真っ青にしながら、グーグルマップをひらいて面接会場までの最短ルートを検索すると・・・10分遅刻するとの案内。
落ち着け。
このグーグルマップは徒歩で渋谷駅まで歩いたケースしか想定していないはずだ。

私は走った。
夏の青山を、スーツと革靴で、汗だくになりながら走った。

グーグルマップの想定ペースを打ち破り、新幹線の自由席に飛び乗って、新大阪からも最大限に走り、面接開始10分前になんとかたどり着いた。

この経験はいまでも忘れられない思い出だ。
皆さんも面接前には油断せずに会場を確認してほしい。
ちなみに面接には落ちた。

さて、その後オープンした思い出深いお店の壁には、こんな言葉が書いてある。

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何か新しいものを初めて見つけることではなく、
古いもの、
古くから知られていたもの、
あるいは誰の目にもふれていたが見逃されていたものを
新しいもののように見出す(みいだす)ことが、真に独創的なことである。

フリードリヒ・ニーチェ

現代でも名を聞くことの多いニーチェ
私はニーチェについては詳しくないけれど、この言葉が好きだ。
文中に登場する「見出す」という言葉には、無印良品が生み出してきた様々な魅力を読み解く大きなヒントが詰まっている。

誰もが見逃さない面接会場を見落としている私
ではあるけれど。
いや、そんな私だからこそ、無印良品から学んだことがこの文章に凝縮されているように感じられている。

クリエイターや自分のお店をやっている人はもちろん。
やろうと思えばインターネットを通じて様々な価値を発信できるこの時代に生きるたくさんの人に読んでいただければ嬉しい。

見出す目と無印良品 〜栄光と挫折〜

実は、無印良品の「見出す」ことへのこだわりはすごい。
そもそも、西友のプライベートブランドとしてスタートした当初、オリジナルの商品を出すために金型などを作るお金などなかった。
つまり、ラインナップにふさわしいと思われる既存の道具を、色やロゴを削ぎ落として作ってもらうことで商品を揃えていく必要があった。

オリジナルで商品を作れない葛藤はもちろんあったと思う。
でも、結果として世の中にある道具を無印良品のコンセプトに照らし合わせて取り扱うというスタイルだったからこそのラインナップで、無印良品は世の中に受け入れられていったのだと思う。

そんな無印良品も1990年代後半にかけて悩みを抱え始めた。
売上があがり、取扱商品が増え、利益が上がっていった。
その一方で、商品のクオリティに問題が発生していたのだ。

クレームも半年で7500件ほどに達していました。
40アイテムでスタートした商品数が6000アイテムに拡大し、商品開発も生産管理もすべて商社任せになっていたことが原因です。

株式会社良品計画 前会長 松井忠三さんのインタビュー記事より抜粋
リンク先より引用

無印良品の名前をつけて様々なものが商社任せで作られた。
私が先輩からもらった超レアなカタログをお見せするとその商品展開の自由さというか、凄まじさがみてとれる。
MUJI+Car 1000は型遅れのマーチを元にして作られたという。
当時MUJI+Carは見事に売れなかったと先輩からは聞いている。
自分のような無印良品マニアからすれば一度現物を見てみたいけれど、中古車市場でもなかなかお目にかかれないレアな車両だ。

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そんな状態からの脱却を目指し始まった取り組みの名前こそ「FOUND MUJI」だった。
商社に頼らず、自分たちの目で機能も質も高い商品を世界中から見つけてこようと原点回帰の動きから売上のV字回復がはじまったのだった。

見出す目と無印良品 〜デザイン〜

一方で、会社の規模が大きくなった無印良品は、自社でデザインした商品を作れるようになった。
その時にも実は大きな壁にぶち当たっている。

これまではすでに世の中で使われている道具の装飾を削ぎ落とすことで商品を作ってきた。
それをそのまま、ゼロから商品を作る際にも行ったのである。
いわば「ノーデザイン」で作られた商品は、それこそシンプルだったけれど使い勝手が悪く売れなかった。
その様子は2002年に発表された「無印良品からのメッセージ」からも読み取ることができる。

当初はノーデザインを目指しましたが、創造性の省略は優れた製品につながらないことを学びました。
最適な素材と製法、そして形を模索しながら、無印良品は「素」を旨とする究極のデザインを目指します。

無印良品からのメッセージ「無印良品の未来」から抜粋
リンク先より引用

この時期から無印良品に加わったのが、デザイナーの深澤直人さん。
オブザベーション(観察する)と呼ばれる手法を用いながら、プロダクトデザインを行う姿からは「見出す」という行為が商品を作り出す際にも有効なことが伺える。
例えば深澤さんの代表的なアイテムである壁掛式のCDプレーヤーは、いまや絶滅危惧種になっている「換気扇」から見出されたデザインをしている。

換気扇の羽がゆっくりと回り始める動き。
紐をつい引っ張ってしまう人間の行動。
風通しのいいところに設置されている換気扇は、音を鳴らすにも都合がいいことからCDプレーヤーも壁掛け式にされていること。
日常にあるモノや、人の行動を観察することで見出された要素から生まれたこのCDプレーヤーは人気を呼んだ。
結果としてAppleのiPodよりも息が長く愛されるロングセラーな音楽プレーヤーであることも面白い。

同様に観察から生まれた商品として面白いのは「壁につけられる家具」という商品。
収納家具を作るために、一般家庭を観察した上でわかったのは「家具を置く場所がそもそもない」という日本の狭小住宅ならではの問題点。
そんな中、ふすまの上によくある長押という木部にハンガーを引っ掛けたり、ひいおじいちゃんの写真を飾ったりしている行為を「収納スペース」として見出して商品化したのがこのシリーズだ。

このように無印良品の商品は唐突な思いつきから生まれてくるわけではない。
見慣れた道具や行為を見つめ直し、「見出す」という能動的な行動から生まれてきた。
FOUND MUJI 青山という冒頭のお店も、会社がその気持ちを忘れないための、一つの装置なのではないかと私は思っている。

見出す目と、あの有名な会社のイノベーションたち

さて、この「見出す」というテクニック。
意識的に手法として捉えてみると、革新的とされた様々な道具たちの誕生にも使われている。

ウォークマンを生み出したソニー。
ゲーム業界を今なお魅了し続ける任天堂。
ipodやiphoneを生み出したAppleでさえも、「見出す」という視点を活用して新しいものを生み出しているのではないかと私は考えている。

例えばソニー。
携帯音楽プレーヤーの代名詞といえるウォークマンを世に生み出し、世界中を魅了したことは私達の世代でも常識として知っている。
ウォークマンという「発明」には、1本の端子を挿すだけで両耳からサラウンドで音が聴こえるようにできるようにしたことしか「特許」はないことを知らない人は多いと思う。
ウォークマン以前に、ソニーはプレスマンというビジネスマン向けの「録音再生機器」を販売していた。

ウォークマンは最新機器ではなくて、プレスマンという高機能な機械から「携帯して音楽を再生できる機能」を抽出して新しく見出されたものだったのだ。
今でこそソニーのウォークマンは成功例として受け止められているし、その後は誕生エピソードについても諸説が語られている。
しかし、ミスターウォークマンと呼ばれた黒木靖夫さんの著書によればソニーの社内のほとんどの役員に発売を反対されたという話も出てくる。
確かに当時の常識から考えてみれば、機能を減らした商品を売るということを理解できる人はいなかっただろう。
そんな中で、ソニーの会長を務めていた伝説的な人物である盛田昭夫さんと黒木靖夫さんは、「若者向けの雑誌として人気だった「明星」を読んでいるのは僕たちだけだからね」と話しながら発売に踏み切ったという話は覚えておいて損はないと思う。


任天堂にも同じようなエピソードがある。
任天堂がゲーム会社となったきっかけである「ゲーム&ウォッチ」という商品。
ゲーム&ウォッチをみたことはなくても、棒人間のようなキャラクターは大乱闘スマッシュブラザーズで見た人も多いと思う。
この機械の元になっているのは、当時技術競争の末に値段も安く、小型になっていった「電卓」だった。
電卓の計算能力や電池で画面に白黒で情報を表示できる機能に、ゲーム機としての可能性を見出したのが任天堂の社員の横井軍平さんだった。
このゲーム機が国内外で4000万個を売上、抱えていた赤字を黒字に転換し、その利益を元に任天堂はファミリーコンピューターを開発。ゲーム会社としての階段を登っていくきっかけとなった。
ここでも成功に必要だったのは「最新技術」ではない。
価格競争が進み、メリットもデメリットもわかった電卓を、全く他の用途に向けた道具として見出す。
そうすることでコストを下げて、多くの人が手を出せる価格で販売できる。
横井軍平さんは「枯れた技術の水平思考」という言葉でこの考え残している。
任天堂のその後のヒット作となったWiiでも既存のリモコンの技術を応用して新しいコントローラーを作る・・・といった部分で活用されている。


あのAppleであっても、ゼロから何かを創り出しているわけではない。
日本ではすっかりひげそりのイメージが定着しているBRAUN。
その伝説的なデザイナー、ディーター・ラムスのデザインを、ipodやMacに与えた影響は上の動画からも見て取れる。
また、iPhoneを初めてみた日本の多くの技術者が「何も新しい技術はない。自分でも作れる」と言ったというけれど、これはまさにニーチェの冒頭の言葉そのままの話なのだと思う。
ビジネス的な視点から見てみても、最新の技術の取り扱いは難しい。
まだ長所も短所もわかってないし、コストも高かったりする。
一方で、多くの人が見慣れているものは、長所も短所もわかっているしコストも安い。
だからこそ、違う使いみちを見つけられたときには、起こりうるトラブルも予測がつきやすいし、コストも抑えて製造できる。
作れるかどうかで言えば、ウォークマンもゲーム&ウォッチもiPhoneも、当時の水準の技術力をもつ工場であれば、作れるような技術でしか作られていない。
でも彼らでなければ創り出せなかった。というところに全ての価値を生む源泉があるのだと思う。

私が見出したもの

私は無印良品を辞め、大阪の箕面という場所で文具屋をはじめた。
でも、この頃文具屋として認知されていないことに気づき始めた。

「山下さんって白い三角コーンの人ですよね」



いや。
間違っていない。

決して間違ってないんだけど、アイデンティティを整理しないといけないぐらいに私は「白い三角コーンの人」として認知され始めた。

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白くて光る三角コーン看板を文具屋を営む傍らに販売し始めた所、文具より人気になってしまった。

でも、改めて振り返ってみると、この三角コーンの看板も「見出された」ものだ。

三角コーンなんてどこのホームセンターにでも売っている。

屋外で使えて、安価。
でも工事現場のようなイメージが強くて、車にぶつかられれば壊れてしまう。

そんな三角コーンにカッティングマシンでステッカーを切り出して、貼ればおしゃれな看板としての価値が生まれた。
それは普段の生活で誰もが目にする三角コーンだからこそ、皆に受け入れられたのだと思う。
誰もが買える既存のパーツを使っているからこそ、工場と契約をして在庫を大量にもたなくても、安く生産できたのだ。

無印良品で学んだ、ありふれた日常から価値を見出すことの大切さ
それが少しは自分の中に生きているように感じる。
そして、この文章を読んでくれたあなたにとって、なにか少しでも助けとなれば嬉しく思います。

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