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「なぜウチより、あの店が知られているのか?」を読んだら、客観性こそが個性を引き出す鍵だと感じられた話

「前来たときはなかったのに、こんなところにお店あったんですね」

そんな言葉をお客様からよく言われる。
それも1年目や2年目ならまだしも、5年目に突入した今でも言われているのだから危ない。
電車からのアクセスも悪く、ビルの入口も大きな道路とは反対側の搬入口。
お隣のカフェは繁盛店なのでよく知られているのだけど、同じところに文具店なんてあったっけ?
そう言われ続ければ、ちゃんと存在をアピールしなければならないとも思う。

そんな慢性的な悩みを抱える私に一冊の本の情報が飛び込んできた。
「なぜウチより、あの店が知られているのか?」というキャッチーなタイトルは、お店をやっているものなら誰しも一度は呟く生々しい言葉だ。

今回はこちらの本を読んで、自分なりに感じたことをまとめていきたい。

客観性はどこからくるのか

さんからると書いて「客観
そんな言葉が本を読んでいるとすぐに出てきて「あーたしかに」とふかくうなづいてしまった。
「観察」という言葉は「観て察する」というところから来ているという言葉を昔に目にして以来、久しぶりに目からウロコが落ちたようなきがした。

お店をやっているとどうしても、お店側の主観が色濃く出てくる。
それはどうしたって、お店をやってる本人なわけなのでしょうがないといえばしょうがないのだけど、お店の運営の全てがお店のためにとなってしまうとまずいような気がしている。

お客さんに利用してもらってこその「お店」なのだし、変におもねる必要はないものの、自分の感覚とお客様の感覚の重なる所で商売はしていきたい。

そういった意味において、過去に無印良品さんでは働かせてもらっていたことはすごく大きな力になっているように感じている。
自分にとって無印良品さんは「日本のふつう」が集まる最前線。
丁寧なくらしなんて言葉が市民権を得る前から、無印良品さんでは暮らしに必要な幅広いジャンルの商品を自前の哲学というフィルターを通しながら扱ってきた。
そこで10年働くと何が起きるのかといえば、日本の暮らしの移り変わりがぼんやりながら見えてくる。

大好きな文具はもちろん、ベッドや机といった家具、食器や掃除用品、男性の服だけでなく女性や子供服の移り変わり、さらにはカレーやお菓子といった食品に至るまでの「ちょっといい」がたくさんある場所だ。

更にそこでお客様がどんなものを見て、どんなものを買い、どんな言葉を話すのかという膨大な洪水の中で、お客さんの観た世界を見させていただいてきた。
その経験は、1日の来客数が片手で数えられることも多い個人のお店では出来ない経験だったと、この本を読んで改めて気づくことが出来た。

誰でも理解できる言葉になおすこと

いいと思った投稿やトレンドを言葉にしてみる。

そんな言語化の作業の大切さにも触れられていたのをこの本を読んで、改めて重要だなと思い知らされた気がする。
どうしても自分ひとりでお店をやっていると、誰とも話さず1日終わってしまうこともある。
自分が考えていることが果たして魅力的なものなのか。
そして市場に出した時に本当に伝わるものなのか。
言葉にしないでいると、相手に判断してもらうことも難しいし、自分でもその商品の本当の良さを説明できなかったりもする。

会社員として働いていた頃は、毎日朝礼をする立場だったので沢山の人と話す機会に溢れていた。
知識の充実した人もいれば、新人さんや主婦や学生といったアルバイトさんまで、必要な伝達事項をできるだけ時間をかけずに言葉にして伝えなければならなかった。

更に、会議があればその内容を同僚に伝えるために、ノートを書いたりパソコンで文字にしたり、録音したりといった作業が必要だった。
いまなら流行りのAIで簡単にまとめることが出来るのではないかと、技術の進歩にワクワクがとまらないけれど、思えばそういった「何が大切か」といった順位付けをしながら言葉を作る作業は、SNSで発信する上でも重要なスキルなのかもしれない。

AIがいいまとめを吐き出すためには、そもそもいい情報を伝えて上げる必要だってある。
伝達ミスがあったころは、伝達が正確であればうまくいったのに……という逃げ道みたいな考え方があった。
でもこれからの時代は正確な伝達が容易なために、何を伝えるのかがより研ぎ澄まされる必要があるし、そのクオリティが結果として鮮明に現れる時代に求められるのかもしれない。

削いで削いで削ぎ落としたあとに残るもの

客観性を突き詰めていった先には凡庸なものしか残らないんじゃないか?

客観性をもてと言われると、そんな感覚を誰しもが持つのではないだろうか。
自分の主観の入った情報こそが価値であり個性なのだから、客観性はそれを薄める行為にも思えてくる。
けれど、2月に聞いたTENTさんのイベントでの話が、この疑問に答えてくれた。

TENTのあおきさんのこのnoteは、とても面白いし最後の方にYouTubeのアーカイブもあるので見てみてほしいのだけど、2.「深さ」からの繋がりという部分で触れられている「コンテキスト(文脈)」に関するところが、この客観性という言葉の捉え方にもつながってきているように思えた。

客観的に誰でもわかる言葉で、デザインやアイデアを深めていく時、あおきさんは「他所から持ってきたコンテキストは排除したいと思っていた」という。
そして、更には「「子どもが夜泣きした」とか「机のカドに足の小指をぶつけた」とか、そういった、個人的環境・個人的体験を、はからずも作るものに盛り込んでいた。」と説明されていた。

トレンドを追いかけて、自分の中にないものを追うのではなく、自分の中にある経験から掘り出していく。
その作業には「なにがトレンドか」という知識がないと、自分が影響されているかどうかもわからないし、世の中の流れはこうだけどこうしたいという考え方にも世の中の流れへの見聞が必要となってくる。

客観性を深めるという行為は実のところ、主観を削ぎ落としていく行為なのだけど、主観を全てなくしてしまうことが目的ではないのだと思う。
世の中の流れが「◯◯◯」で、自分の考えは「◯□✗」だから、◯のところは一緒だし影響受けているんだけど、□と✗が譲れないんだよな……みたいに、複雑に絡み合った主観と客観という紐を解いて確認するような行為なのだと思う。

そして、世の中の流れと大きく離れた考えを仕事にするのであれば、世の中にそれをつたえるためにどうやって発信をしていくのかと考えていくことが、SNSの醍醐味なのかもしれない。

そう考えていくと、「なぜウチより、あの店が知られているのか?」というタイトルの問いこそが、客観性を身につける上での一つの大切な考え方なのかもしれない。
そんなことをこの本を読みながら感じました。
そしてうちも少しは知ってもらえるように、頑張っていこうと思います。

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