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長くまがりくねった道4 イベント編2

イベントの仕事で記憶に残っているのは、1987年という年である。突然私のいた会社が子会社を作って外国タレントの呼び屋を始めるという事があった。全くの新規事業であったが、その時の外国タレント1号がマドンナであった。マドンナの日本公演は全国ツアーで行われたが、当時まだ後楽園球場といっていた場所での公演で、関連グッズの販売をする仕事に携わった。ところが、その公演が雨天によって中止になってしまった。中止の決定がでるまでに、時間がかかったため来場者は待たされており、だんだん人が集まってきて球場を取り囲んで不穏な雰囲気となっていった。私は当時球場内に閉じ込められた状態で、こっそり外の状況をのぞいたら、群衆が今にも爆発しそうな感じで球場を取り囲んでいるのが見えた。当日の公演は中止となったが、その体験一つで、新しい事業からは即撤退となった。高額のお金が動く一方、ギャンブルに近い危険性をはらんだ興行の世界は私のいた会社には向かなかったのだと思う。
同じ年にマイケルジャクソンが来日し、ワールドツアーの日本での公演をおこなった。



この時、日本公演でのスポンサーは通信会社大手とコーラでも青いほうのメーカーがダブルで行った。私の担当していた広告代理店の担当は通信会社大手であったが、公演でのBIP招待客の受付であった。もう一方のコーラは別の広告代理店が担当していたが、外資系の代理店であったため、この手の現場運営では明確な差が出てしまった。会場内での様々な調整事をすると、明確に経験の差が出てしまったのだ。マイケルジャクソンの仕事では、横浜球場から見えるビルの壁に、ポスターを掲示したり、駅から会場への道にある工事中の壁にポスターを貼るとか、駅の掲示板をジャックしてマイケルジャクソンで埋め尽くすとか、ありとあらゆる手法を試した。もちろん、ポスターは剝がされて持っていかれたが、それも宣伝効果として評価された。
私は公演前の会場のガラーンとしているところに佇むのが好きで、その後開場されて満員になった会場とのギャップを楽しむのが好きだった。リハーサルの光景を経験できるのも、スタッフの特権であった。
長いツアーを一緒に回ったスタッフは仲間として仲良くなるものである。広告代理店の若い社員と受付で派遣されていたコンパニオンの恋愛ざたがあったり、まさに青春であった。でも、仕事は仕事なのでゆっくりとコンサートを聴くこともなく、終わった。

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