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長くまがりくねった道8 出向編

2000年を迎えようとする時期、私の身に突如として降りかかった事件があった。当時システム部門の部門長を務めていた私に広告代理店国内第2位の会社への出向命令が出たことだ。
事の経緯は私が広告代理店の担当を務めていて、得意先からの売上代金の未収を作ったところから始まる。ことの経緯はもっと複雑な背景があったものの、結果からすると未収金が発生してしまった事は事実だ。当時私は広告代理店担当営業部の部長を務めていたので、その責を問われて、減俸と部署異動という処分を受けざるを得なかった。
そして営業時代からコンピューターを使った仕事の改善を行ってきた関係から、システム部門への異動が決まった。私をこの会社に入れてくれた方からすると、許せない裏切り行為であったと思う。そして、システム部門で新しい体制を構築していくことに、やっと目的を見出したころに、広告代理店への出向を命じられた。システム部門の部長という役職にいた私は、当然これから当社においてますます重要になってくるシステム部門を充実させるという使命に燃えていた時期である。その異動に私をこの会社に入れてくれた方の意向があった。その方は営業こそがこの会社を動かしているところだと、心から思っていた。従って営業からはずれてシステム部門に移った私はできそこないの人間に見えたのであろう。そこで、営業にまた戻してやろうという親心から、救済策として広告代理店への出向という、ある意味禁じ手を使った。その広告代理店のある局長クラスの人と私の恩人である経営者が懇意になりたいという思惑があり、その局長から、自分の担当しているある部署でイベントの仕事ができるスタッフを探しているという依頼がわが社に来た。私をこの会社に入れてくれた方は、ここで広告代理店に出向させて、2年ぐらいで売り上げを上げて私をカムバックさせ、当社のイベント営業の部長にしてやろうという思惑があったのだろう。
その当時の私はそんな事も知らず、もともともうイベントの仕事には嫌気がさしていたのと、これからの時代システム部門が重要になるというビジョンを持っていたのに、それも踏みにじられてやる気をなくして、広告代理店の出向をした。私が48歳になったときだ。
いざ広告代理店に行って見るとその部署は展示会場等の施設設計を行ったりするのが本業で、イベントはそのついでにクライアントから頼まれたイベント運営をやっている部署だった。今までの当社での経験など何も役に立たず、イベント会場の予約をやらされたり、下働きとしてしか扱われなかった。そうこうするうちに、当時はやっていたスポーツポータルサイトの立ち上げ業務を手伝うことになった。有名スポーツ選手のHPを一同に集めていくというものだ。国内第1位の広告代理店で同じようなサイトがあり、第2位の広告代理店が対抗策として作ったサイトだ。クライアントであったE社はM&Aを本業にしている会社が、当時のインターネットサイドビジネスのブームに乗って、新規事業としてポータルサイトの立ち上げを目論見、その業務を広告代理店が一括で請け負うという構図だった。後になってわかった事だが、本気でこのビジネスを行うつもりがなく、広告代理店というブランドを利用していただけで、最後にXゲームと言われる大会をスポンサードしたあげく、約1億円の費用を支払わないという最悪の結果を招いた。
それでも、そんな中で私は、上村愛子のHPを担当し、モーグルの大会があると取材に行ったりした。しかし、イベントの仕事をやってこいと言われたのに(そもそもイベントの仕事などほとんどなかった)イベントの仕事をやらなかったことが当社の上層部には面白くなかったようで、1年たたないうちに当社にもどされた。出向するときには、当時の営業本部長だったOから「売り上げなんかなくていい。ただ関係を構築すればいい。」といわれていたのに、突然「最低でも2000万の売り上げをもらってこい」といわれ、そのことを広告代理店に言えといわれた。約束にないことを広告代理店に言えば、そんな話が通るはずもないのに。案の定、そんな約束はしていないと広告代理店から言われ、その事もあって1年もたたないうちに当社に帰された。そしてゴミのような扱いを受けた。役に立たないやっかいものとして扱われたのである。前任だったシステム部門に「私がいるかいらないか?」と聞いていたらしく、その答えは「とりあえずいります」ということでやっと戻れたというのが真実だ。とりあえずだ!イベントをやってこいと言って出向させたのに、イベントの仕事をしないで余計なネットの仕事なんかしやがってというのが理由だが、そもそも私が出向している期間には何度も言うが、その部署はイベントの仕事なんかなかった。おまけに、イベントの仕事の最前線は、30歳定年説があると思っていたのに、(徹夜をしたり、ほとんど寝られない時期が必ず来るハードな仕事は、30歳が限界です。)当時50歳直前の私が役に立つはずもない。
広告代理店に出向したことで学んだ事。自分が当社の中である程度までできると思ってきた事は、組織を使ってできていただけで、自分ひとりになってみると何も満足にできないということだ。また、私は入社2年目から営業として日本一の広告代理店を19年間担当して代理店というものがわかっているつもりでいたが、日本で第2位の広告代理店の中に入ってみて全く違う組織だと感じた。中のどろどろした権力闘争は、たとえば、注目されるインターネット関連の仕事をどこかの部署が受注したとすると、その受注した部署を中傷するような謎の怪文書が出回る、という信じられない様な陰険な体質を持っている。社員はと言えば朝10時過ぎにしか出社せず、午前中は何も仕事をしない。午後からやっと仕事をすると、深夜の打ち合わせがセッティングされ、夜中の12時すぎにタクシーで帰るというサイクルで仕事をやっていた。そして、社内会議で二言目には必ず「築地では(当時第1位の広告代理店の本社があった)どうなっている?と気にすることだ。あきらかに2番手の悲哀である。そして、当社では私の出向後も得意先常駐という人身御供を差し出して売り上げの保証を得るという施策を見かけるが、はっきり言うと出向したのが若い人であれば、当社に愛想をつかす事になる。現に、何人もの犠牲者をだしているにも関わらず、その事を決めた責任者は何のおとがめもなくのうのうと居座っている。人を単に駒のように動かし、責任をとらない。やめたらやめたで、それはその人の責任だという、あきらかなパワーハラスメントであると思う。


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