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長く曲がりくねった道10

2002年~2003年には会社で大きな変化があった。それは都内数か所に分散していた事業所を統合して新しい事業所を作るということだった。それにあわせて、私が所属していたシステム部門にも変化があった。それは、当時システムに関する知識不足から、営業が得意先に提案しようとしても、なかなかうまくいかない事が発生していた。その解決のために、社内組織を新しく作り、営業支援をしていこうという試みだった。当時制作部門の責任者と私システム部門の責任者が合議して、「プロモーションディレクター」という部署を立ち上げる提案をおこなった。考えてみれば、経営層でもない一部門の部長が提案して部門の立ち上げをするなんて、普通ではない。その当時の会社がそれだけ変化の波にさらされていることを、会社の上層部も感じていたのだと思う。私の思惑としては、営業マンとして最前線に立つものは、今の時代システムに関する知識ぐらいはもっていないと戦えない。その知識を得意先に対する提案を通して学んでもらいたい。つまり、提案行為を通して営業マンに教育をしていくことを目指す組織を作りたいと考えたのだった。
一方で、新しい事業所は埼玉に2003年出来上がった。開設にあたって、作業部門が一斉に埼玉の事業所に集結した。私は、会社に提案した新しい組織であるプロモーションディレクターを担当する部門長になるものだと思っていた。ところが、当時の上司から告げられたのは、埼玉の事業所でシステム部門の部門長を務めるという命令だった。自分で提案して新しい部門の立ち上げを信じていた私は、目の前が真っ白になる思いだった。新しい組織のコンセプトも実際の運用管理も、私以外の人間が担当したら全く違うものになってしまう。
そしてその懸念はその通りになった。プロモーションディレクターはその進むべき方向を示されないまま、営業支援という名のもとにただの「企画書書き屋」になってしまった。
私はといえば、遠く離れた埼玉の事業所立ち上げのゴタゴタに追い回されて自分が企画した部署に一言も口をはさめないままとなってしまった。
企画部署というのは、実際に作業を行う現場でもなく、営業のようにフロントにたって得意先と対峙することもない部署であるため、常にそのあり方について会社の動きを見ながらその時々で変化をつけていかなければならない部署である。こんな難しい役割を、自分が提案していない人間に任せても、安易に毎日を過ごす方向にマネジメントしてしまうことになる。そのような訳で、広告代理店の出向から帰ってきて、やっと新しい目標に向かっていこうとした私の希望は絶たれた。

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