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考えたこと(2020/09/16)

さっき初投稿したのですが、どうせなのでもう1本。
さっきブログの方で書いたことの転載。内容はかなり「どうでもいいこと」(何の役にも立たないこと)なのですが、こういうのって需要あるのかな、という調査の意味も兼ねて。「もっと読みたい」って人は何らかの反応をして下さい。反応が多ければブログだけでなくこっちでも書く、かもしれない。
あ、以下に書いている内容は「正しい」とは限りません。事実と異なる可能性があります。私自身もネット等で正しいかどうかのチェックをしていません。自分のあやふやな知識の元でテキトーに考えて書いています。そのあたりを承知の上でお読み下さい。


考えたこと。
①言語について。よく英文和訳の問題等で「A(という言葉)にBという意味はない」と減点されることがある(というか私にはそうされた記憶がある)が、それってどうなの?という話。
要するに、言葉って「辞書に載ってる意味」しかないわけではない、と思うの。私は言語の基本的構造について、A=Bと一対一に対応するようなものではなく、Aという言葉は直接的には「概念」(A')を示していて、それをある方向性で「解釈」することでBという「意味」が生じる、というようなものだと考えている。つまり、解釈の仕方によっては辞書に載っていない意味も生じ得る(創り得る)ものだ、と思っている。
例として「apple=リンゴ」を考えてみる。これの基本的な概念(イメージ)は「果物の一種で赤くて丸い形状のアレ」と考えられ、それと似た形状の体の部分と「解釈」することで「Adam's apple = のどぼとけ」という意味が派生して生じている、と思われる(正しいかどうかは知らん。Adamが最初に「知恵の実」を食べたからかも)。これをもっと発展させて、昔リンゴは健康長寿をもたらすものと考えられていたことから「apple=薬」と訳してもいい場面もあって良いはずだし、逆に白雪姫が長い眠りにつく原因になったことから「apple=毒」としても良いこともある、と思われるのである。(解釈の仕方によっては同じものから真逆の意味も生じ得る、と言いたかった。)
だから「AにBという意味はない」と断定することは基本的には出来ないはずで、きちんと述べるなら「A(が示すA'という概念)からは適当な解釈によってBという意味は生じ得ない」ということを説明しなければならない、と思うわけである。まあ上記の英文和訳の場合だとそういう意味でも間違えてしまっていることがほとんどなのだが。
解釈の方向性は文脈(コンテクスト)によって定められる。つまり、文章とそれを構成する言葉(概念)が相互的に作用しあうことでその文の文脈・そこで使われている言葉の意味が決定されるわけである。イメージで言うと、単語たちのイメージの雲が寄せ集まっているのを(それらが見られたがっている)ある方向から見てやることでそれぞれのカタチが明確になり、それによって文章全体のカタチもわかる、って感じ。要するに、「タマゴが先かニワトリが先か」と同じような構造が言語でも生じているってわけ。何言ってるかわからんと思うが。

②雨宿りについて。よく「樹の下」で雨宿りしたりするが、よくよく考えるとそれって意味ないのでは、と思った。だって葉っぱ1枚1枚は小さくて、雨粒が当たってもすぐ脇に流れて下に落ちるのが連鎖的に繰り返されることを考えると、結局樹のふもと?にも雨は落ちてくることになるのでは、と。葉っぱに当たった雨粒が全部枝を伝って樹の幹に流れ落ちる、というのなら別だが。
ここで気になるのはどういう形状(葉っぱの形や量・枝の付き方)の樹なら雨宿りに適しているか、ということ。形状によっては完全に雨を防げる樹もあるのかもしれない。小学生の夏休みの自由研究に最適な課題かな、なんて思った。もっとレベルの高い課題にしてもいいけど。


以上。ではまた次の記事で。

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