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BIO+FORM 考 自然と建築の幸せな関係 #5 部分最適から全体最適へ

生態系の仕組みが持つ全体調和性の視点から、改めて現代の技術や仕組みを俯瞰してみたい。

現代の技術が指向していることは、まさに目の前のその問題を解決するためのものであることが多く、個別の最適性を目指している。そうした単一課題の効率論は、問題を根本的に解決してくれるのだろうか? というモヤモヤ感がある。

現在、喫緊の課題になっているエネルギー問題は、「夢のエネルギー」が発明されてしまったら、果たして脱炭素の議論はおしまいになってしまうのか?原子力という技術がかつてそうであったように、その技術の外の状況に対しては環境的、社会的負荷やコストが発生していることには着目されない。

太陽光発電の仕組みも、現在においては自然エネルギーを捉える有効な技術ではあるが、一方で希少金属、パネル廃棄、景観、山林破壊など課題もまだ抱えている。昨今議論が盛んな建築の断熱・気密性についても、基本的には必要かつ重要な技術だとしても、一方で高断熱がもたらす課題についてのテクノロジーアセスメントが十分なのか、という懸念もある。高断熱がむしろエネルギー消費を増やしている、という実態はないだろうか?

気候風土型の住宅について、環境配慮型の先導事業として、審査をうけ、当選したものには補助金が交付されているが、その家のエネルギー消費実態調査をすると、案外と省エネで暮らしていることがわかる。逆にZEHのような建物が意外と省エネになっていない、というような報告もあるようだ。

別の文脈にはなるが、不幸にして「温暖化」が進んでいる現在、皮肉にも高断熱の必要性が相対的に下がってきている、ということだってあるかもしれない。

技術を手放しに受け入れるのではなく、一歩引いて節度を持って接する、という態度も必要だと思う。

単一の技術だけに依存するのではなく、多様な技術で総合的にアプローチする方法論がもっと議論されて良い。

メリットと課題を両方睨みながら、「全体の最適性」を指向すべきである。それは環境建築においても然りである。

そうした文脈において、建築の環境性能規定について、政策的な縛りを設けることには慎重であるべきと考える。ある特定の技術に頼った「義務化」なるものは、技術の枠を縛ることに他ならず、多様な方法論の可能性を狭めてしまう。

図版は Permaculture Designer’s Manualからの抜粋であるが、現代の「部分最適」な仕組みと、パーマカルチャー的な全体最適を目指すことを端的に表現していると言える。

我々は、スーパーで非常に廉価な卵を手に入れることができるが、その背後で多くの環境的、社会的負荷を出している。それに対して、パーマカルチャーな風景で得られる卵は数こそ少ないかもしれないが、(そしてそれはこの風景を維持していく主体者、住まい手の毎日の食卓を満たすためには十分である)インパクトはほとんどなく、調和的に成立している。これは環境的な建築を考える上で、とても示唆に富んでいる、と思う。


Permaculture Designer's Manual より「部分最適」
パーマカルチャーが目指す「全体最適」

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