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書きたくなったから書いた。

書きたい時に書けばいいと思う。
そんぐらい適当なんだが、いかんせんTwitterは140文字だ。
課金すればそういうわけではないのだけど、なんとなくそういう気分ではない。
だからnoteを書く。

正直、noteはもはや好きなフォーマットではない。
なぜなら、犯罪の温床でもあるからだ。
有料noteで詐欺になったりするのを見てから、好きではなくなった。
ただ、自分もメルマガ間隔で月に1万円ほどnoteに課金しているので片棒を担いでいる。
好きでも嫌いでもない。
そんなスタンスになりつつある。
まあでも、RTA in Japanの会場になったりするので、そこらへんは好きだ。
やっぱりプラスマイナスゼロだな。

こうして文章を書いているのは、あまりに古い文章がnoteにあり自分がこの程度の文章しか書けないという事実が残るのが嫌だからだ。
しかし、それでも何年後かに見返すと恥ずかしくなるのだろう。
そこらへん、物書きの人はすごいなと思う。
そういえばこの前、よく行くカフェのシェフが「小説でも書けば?」と言ってくれた。
案外そういう人生も悪くないかもしれないが、そもそもあまり小説を読まない。
エッセイは読むけど。そもそもnoteのお陰で日本人は相当エッセイに対するハードルは下がったと思う。
書く、読む、共に。

Podcastを時々するけど、喋る、聞く、読む、書くということを時々意識する。プログラマを職業としているので「コードを書く、読む」というのを日常的に目にするのだけど、そういう基本的言語能力は生きるうえでベースになる能力だから磨いたほうが良いと思う。
そういう意味では、noteを書く意義があるだろう。
まあ、書きたくなったから書いているのだけれども。

とりあえず、満足したからここで終わりにしようと思う。
ふと、何かエッセイを書くとするなら「幸せだった瞬間」について連載をしようかなと思った。
そもそも可処分時間が少なすぎる。やりたくて仕方がなくなったら書けばいいかなと思う。

全ての創作は「やらずにはいられない」から生まれるのではないかと最近は思っている。
おそらくこれも当たり前のことで、自分が思いつく程度のことは数多の人が思いついているだろうけれど。

この文章も後々、恥ずかしくなるだろう。
GPTにも通していないからね。


写真はこの前千駄ヶ谷のロン・ハーマン辺りで「ターナーっぽいな夕日だな」と思ってスマホで撮った夕焼け。

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