シンクロニシティと人との縁の話①
それは数年前の出来事。
自分サロンを開くのに、とんとん拍子にことが運んだ時期があった。
それ以前は身体が丈夫な方でもお金に余裕がある訳でもなく、毎日ヘトヘトでハードに飛びまわり、常に何かを求めていた。
昔から自分の人生は楽しみを求めて生きてるというのとは違っていた。
生き難い世の中を、どうにかしたいと思いながら、目の前の現実を処理し、悶々としながら何かをしなければいけない!
と急かされるように生きていた。
いったい何をしなければならないと思ったのか、
そう、多分深い所で、自分をこの世の為に活かしていかなければならない、そう感じていた。
しかし、自信も能力もパワーもない私が一体何ができるのか?
等身大の自分を真っ直ぐ見ようともせず、理想ばかり追い求める。
だからいつも空回りするたびガッカリし、自分なんて!と拗ねるのだ。
深い根っこの所でいつも燻り続けていた。
馬車馬の様に駆けずり回り、何故こんなに忙しく生きてるんだろう。
一体何を目指しているのか。
学ぶ事が沢山ありすぎるで燃え尽き症候群になる。
自分で自分を追い込む、サディストとマゾフィストを、一人で演じている。
なんやかんなでやってるうち、アロマで独立しようと目的を決め始めた。
私もずっと気づかず過ごしていた。
家庭、スクール、仕事+人の身体に触れる修業の施術のWワークで毎日クタクタだったが、
もう何かを目指すのは、年齢的にもこれが最後かも、という気持ちだと、必死になる。
暫くそんな生活を続け、更に深めたいと、別のスキルを、サロンを開く前に学校を探していた時のこと。
それが自分が目指す、想像とはまるで違う、思ってもみなかったシンクロ話を書こうと思う。
シンクロ経験は誰でも起こる。
シンクロが無いと思ってるのなら、それに気づかないだけなのだ。
もっと前に引き寄せが流行っていて、一時感慨にふけってた時期があった。
エブラハムの教えのこの美しい本に惹かれ、手に取り、全部は読まなかったが心に染み渡った。
しかし私の中では『どうせ人生なんて』の劣等感が奥深く埋まっているようだし、それでいて、何かをしなければと急かす自分がいた。
希望を持たなければ、とやりたいと思ったら、いつのまにかいろんなものに手を出していた。
心は何かを求めても、何に向かって生きてるのか分からず、ポジティブな引き寄せなど全く感じられず、無味乾燥でとにかく生きる為に生きていた。
人生に愚痴ばかり言っていたので、辛い嫌な事ばかり引き寄せていたのも事実。
しかし、いろんなことを振り返ると、全て自分が選択してきた人生ということを否定できない、と次第に思うようになっていった。
いつもシンクロに気づくのは後になってからなのです。
人生の成り行きは、良い悪い関係なく自分が計画し起こしてきたのではと理解するようになり、
運命は全て自分の深い潜在意識がつくりだしていた事に段々と知るようになっていった。
人生の成り行きが、最初から分かっていたらつまらないものでしょう。
人はドラマを演じどんな状況でも、実は楽しんでる事に後々知るようになる。
シンクロは私を積極的に前進するようにし向けていく。
そしてシンクロのやり口は実に巧妙で細部に渡っていることにも驚いた。
当時、新たな学びの為の学校資金が30万以上欲しく、現時点で一銭もない状態、
しかしどうしてもすぐに学びたい情熱がほとばしっていた。
ある時、保険屋さんからの電話があり、
「担当が変わったので挨拶に行きます」
保険屋さんは新しいものに変える提案をよくしてくる。
以前と違って、この方はとてもエネルギッシュな女性の営業マンで、とても好感が持てた。
グイグイ入り込んでくるのに対し、心地悪い感じが全くなかった。
彼女とは後々長い付き合いにもなり、今思えばいろんな学びを経験した。
これも縁なのだ。
どうしたら顧客が話を聞いてくれるか、の方法を心得ていた頭のいい営業マンの彼女の電話は、
「今の保険を崩し使いたい分を下ろすことができますよ」
と最初に提案してきて、そこに飛びついた。
大金が直ぐにでも必要だった私にとって、なんて奇遇な話。
「そんな事できるんですか?」
保険屋さんは担当が変わる度に、いつも玄関先で終わらせる、
この誘惑に初めて部屋に通したのだった。
保険を崩し多少損をしても、マイナスから借りるより安心だった私は、チャンスと思い話を聞くのをOKしたのだ。
解約するとは思ってなかったし、貯蓄保険だったのでやれたのだ。
この制度のおかげで学校に行ける資金がすぐに用意が出来た。
そして学校は実にとても楽しいものだった。
そのスクールの先生やスタッフ方々は活力があって熱心で、とても魅力ある人達だった。
今迄の施術で充分働いたので、そこで学んだ技術を取得し、
サロン用の部屋を借りようと、卒業後物件を探し始めたのだ。
最初はイメージ通りの場所が見つからない。
その一年前、方位角を見るヒーラーさんに、時期と場所を見てもらっていた。
このヒーラーさんも、職場に新しく来た店長と仲良しになり、たまたま紹介されたヒーラーさんだった。
私の夢を着々と準備する為に、人との出会いはとても重要なシンクロなのだ。
サロン用に借りる部屋は、通常住宅用を借りるのは無に等しく、大家さんの許可が降りる事は無に等しい。
看板もネット広告出すのも無理で、部屋の作りもなかなかしっくりいかない、最初はそのようなものばかりだった。
妥協せず、イメージどおりの物件を探し続ける為に心で描いた。
一階が喫茶店か何かのお店で、2階が私の借りるサロンを!とイメージした。
暫くして不動屋さんから連絡が入った。
「ピッタリの所があるので是非見に来て下さい!」と言われ早速見に行った。
そこはまさにイメージ通り、場所も一年前にヒーラーさんに見てもらった通りで駅に近い。
時期的にも方位もヒーラーさんに言われた通りの場所だった。
リノベーション造りでオシャレ、部屋の下が飲食の店舗で夜はシックでお洒落なバーだった。
看板もOK住所もホームページに載せてOK。
全てが思い通り、躊躇し考える理由など全く無い。
「ここはとても良心的な大家さんなんですよ」と、
今迄見た所とは運伝の差で、礼金敷金は0、綺麗でかなりの破格値で借りられ、びっくりするほど、自分にマッチした。
引き寄せというものは本当にあるものなんだなー、とつくづく感心しすぐ手続きをした。
ただ、ひとつだけ気がかりがあった。
アロマの経験はあったものの、まだ学んだばかりの新しい技術をもっと極めたいと感じていた。
その分野の師匠が私には必要だ、とふと思っていた。
なぜそう思ったのか?
学校で学べば充分なのだけれど、自分の店舗を持ちながらもプロからもっと学び続けたい、そんな気持ちがまだまだあった。
そしてこのような人で〜、と技術の優れた人をイメージした。
その思いが、これから!という自分にとって、自分の人生を変化させていく方向に向かっていくとは、勿論想像すらつかない。
そして、暫くすると卒業した施術学校から連絡が入った。
「サロンを開いたばかりで不安でしょう、プロの先生がいるお店を紹介します、3日で良いので働きませんか?」
と言われ、「えっ! 」
驚いた!!
自分が考えてた事がこんなに早く?!
しかも、都心の素敵なサロンっぽいではないか、
どうしようか迷ったが、プロという、私が求めていた分野に詳しいピッタリの先生だった為、このシンクロにワクワクし、
そして紹介されたお店に面接に行くこととなった。
そこでは施術スクールの3人が面接をし、他の方は自ら断り、最終的に条件的に合っていた私が残り働くことになった。
そこでは技術を、その師匠に教えて貰うこととなり、自分のサロンと職場を両立する事にした。
実はその後に、そこで本気で学ぶ為、立ち上げたサロンを閉める事になったのだった。
そこのオーナー社長に「師匠の元で技術をしっかり学んでから、サロンを再度開いたらどうか?、ここで2年集中し働かないか」と諭されたのだ。
サロンを閉めるのは躊躇したが、もっと学びたいという誘惑に負け、店を閉める事にした。
しかし閉めた途端何故かスッキリした。
あんなに切望し念願が叶ったのに、借金も残し呆気なかったが、後悔が全くなかったのは、まだお客様も充分に来ないのもあり、
実はひとりサロンが楽しいと感じてなかったのだ。
サロンを開く前に、もし続かなかったら!の気持ちの保険もかけていた。
立ち上げてみたい!の気持ちだけで、続けていく事への気持ちが薄かったかもしれないし、
しっかりした覚悟が自分の中になかったのかもしれない。
私はずっと、そんなことばかりの人生が多かった。
夢中で飛びつくけれど、極めるとか続けるとかがあまりない。
しかし、それが自分の魂を学ぶ為には、必要な素質だということにも、この後々に気付かされた。
好奇心でお金を注ぎ込んだ割に、気持ちが冷め、全部捨ててしまう事に、一瞬後悔はあるが、
それでも前に進んいくには、お金の執着などはさっさと手放さなければならない。
いつもそうしてお金を生かす事なく無駄にしてきた、とも思っていた。
私は魂の学びの為に、人生を体験したいのであって、お金の為生活の為に仕事をしてるのは外面だけかもしれない。
だから、大金を貯め込もうという気持ちもあまり無かったし
お金がある程度貯まったら、生活意外や勉強する為に使ってしまう。
いろんな事が後から分かってくるが、その時は、ちょっぴり自分は一体何をやってるんだ、何が目的なんだろう、と思う事はあった。
しかし、この時期の出会いは、今迄の踏ん切りがつかないなだらかな人生に急激な変化をもたらしていった。
それは自分の内面的な事を深く掘り出す作業のようでもあった。
燻っていた世の中の価値観と自分の価値観のせめぎ合いの中で生きてきた自分、
何か深い所をえぐる感覚は苦痛さえ感じ、それは、本当の自分になろうと仮面を剥がしていくかのように、
潜在意識の中で、何かが音を立てて崩れていく、そんな感じがした。
その年は2013年。
2012年はアセンション、次元上昇というスピリチュアルの王道の年だった。
目覚めていかなければならないという、スピリチュアル概念が飛びかう年だと気づいた。
今まで、人生は何の為にあるのか?と追求し続けていた自分の感情の中で、何か起こり始めてる気がした。
何が起きてるのか訳がわからず、確かめたいと必死になっていた。
私の中の何かを崩してくれたのは、この師匠との出逢いもそうだが、
他の全ての登場人物も、ソールグループと呼べる人達なのだと感じた。
みんなそれぞれの自分の人生で、意味のある役柄を演じていく。
それぞれの魂の成長の為に現れる、縁のある人達、
そして後々、この師匠との関係性の影響で、急に人格が変わったように、
私は積極的に人と関わるようになっていった。
個人的な人生の出来事の内容と、視野を広めた世界との関係は、一体何か通じるものがあるのだろうか。
アセンションの概念…
世界が変わる?、この時代は破壊される?、その先は一体どうなるのか?
昔読んだ聖書の黙示録の内容が私の頭の片隅にずっとあった。
今迄の固定観念を破壊する為の情報を得たいと望むとで、どんどん新しい概念が入ってくるのだ。
過去に手にした「第十の予言の書」の本、理解できない言語だらけが、何を言わんとしてるのかが魂で分かってはいた。
あれは次元上昇の意味だったのだ。
本を読み漁りながら、この世代に生まれた自分はなんの意味があるのか?
それから暫くして、
奇遇にも人との縁により、多忙に活躍しているヒーラーさんを紹介してもらうこととなるのだ。
それにより、人生の意味が鮮明に理解でき、その後は、自分にとってジェットコースターのようなハプニングだらけのスリリングな人生が繰り広げられていったのだった。
そして、それまでの過去の出来事、生まれた時からの全て、感じた事、考えてきた事の人生が、実に巧妙に計画してきたかのような流れではないか、と感動してしまったのだ。
誰でも自分の人生は自分で選択してきた、という事を。
つづく