COVID-19社会のドラッカー的考察

ドラッカー教授に学んだことから、私たちがとるべき姿勢と行動について再考する

「個人の幸せ」と「機能する社会」を願って、その間をつなぐ「組織とそのマネジメント」を考え続けたドラッカー教授。その知的遺産を私たちはどう活かし、効果的に成果をあげることができるでしょうか。

基本と原則

「基本と原則に反するものは例外なく破綻する。だから、直面する課題・問題・意思決定に適用すべき基本と原則は何かを徹底して考えることが大切だ」とドラッカー教授は教えていました。COVID-19が全地球的に蔓延した社会。我々は、直面する課題・問題・意思決定に適用すべき「基本と原則」は何かを徹底して考え、行動できているでしょうか。

COVID-19 の蔓延によって影響を受ける「生活・事業・経済の課題」、また、それに影響されておこる「心の健康の課題」、そしてそもそも根幹にある「感染症の課題」。多元的に課題が重なり、我々は例外なくそれに直面しています。この状態が長期化すれば、社会は機能しなくなります。そして、それを苦として心を病む人が増えれば、社会の機能不全は加速度的にすすむことでしょう。また、感染対策をしっかりと行なわず、重症化する人が増えたならば、想定外の人口減少すら起こり得るのです。ドラッカー教授が人口動態を軸に「すでに起こった未来」としていたものが変わることになります。

ドラッカー教授によれば、故意であろうとなかろうと、自らが社会に与える影響には責任があります。感染症、なかでも感染りやすく、症状が出にくいタイプの感染症が流行する状況においては、私たちひとりひとりが社会に甚大な被害を与える可能性を持っています。平凡なたった一人の行動が、社会を壊しうるという現実に我々は身を置いています。社会を構成するひとりひとりがそれを知覚し、自覚し、行動にうつすことができるようになることが重要です。

今、問題となっていることの根幹は感染症です。感染症の課題解決なくして、生活や事業・経済の課題、心の健康の課題は解決しません。表面的に、もしくは一時的に解決したようであっても、またぶり返すことでしょう。


知識とコミュニケーション

ただ、感染症学とその基礎である生命科学は、複雑系であり、日進月歩の領域であるため、一般の人々に簡単に理解できるようにする努力がこれまで十分になされてきませんでした。「専門家が知っていれば良い」というものだったのです。少なくとも2019年の大晦日までは。今では、様々な報道で感染症学や免疫学などに関連した生命科学の情報が溢れるようになり、わかりやすく解説するものも増えてきましたが、「ウイルスとは何か」「感染とは何か」「感染制御の本質とはなにか」などを構造的に理解して、きちんと説明できる人は、今なお限定的だと思います。そのため、「新型コロナウイルスには何がいい、何が良くない」といった表面的な話が溢れていて、多くの人はそれをもとに行動に行動しています。方法が自己目的化していて、構造的な理解が進んでいないのです。感染症の専門家も、わかりやすい形で伝えることに努めていますが、どれだけ一般の方々にそれが構造的に受け止められるものになっているのかが課題です。今、まさに、感染症学とその基礎になる生命科学が「受け手の知覚能力の範囲か、受け手が受けとめることができるものになっているか」が問われています。受け手の知覚能力の範囲で必要な知識のコミュニケーションが成立し、受け手が受けとめることができるものになったとき、人々の「知識」となって行動変容が徹底されます。とてもわかりやすい成果指標です。

「これは不要不急でないからやって良い」という行動の判断軸を持つのではなく、「これは感染を防ぐ基本原則に沿っているからやって良い」という行動の判断軸を多くの人が持つことができるようになるのが、「成果」です。構造的な理解がなくては、無意識に感染を拡げてしまうような“残念な行動”が発生し続けるだけでなく、にわか専門家の不勉強な論理展開を鵜呑みにして、フェイク科学が広まることをも許してしまいます。この感染症の正しい理解に基づく、「基本と原則」に沿った行動を皆がすれば、COVID-19はより早く終息に向かうはずです。

「わかっているつもり」や「知っているつもり」は「わからない」や「知らない」よりも危険です。ドラッカー教授が授業で毎回言っていた名セリフは I don’t know!でした。知らないことを自覚しているから、知ることができる。こういうことだと思います。
学びのアップデートを怠り、感染の構造の理解に基づいた「基本と原則」に沿った行動変容が徹底されないならば、この感染症は長期化する恐れがあります。長期化すれば、感染症の課題にとどまらず、社会の機能が麻痺して、生活・事業・経済が脅かされるようになり、それは多くの人が心の課題を持つようになることにつながっていきます。恐ろしいことに、これは、仮説ではなく、もうすでに起こりつつある「現実」なのです。


体系的廃業とイノベーションの機会

生活・事業・経済の課題については、悲観すればいくらでも悲観できますが、悲観で止まることなく、「課題を解決する存在」でありたいものです。この状況を、「体系的廃業」と「イノベーションの機会」にすべきです。

事業をやっているならば、事業の状況が致命的になる前に、事業を止める(とめる・やめる)ことが大切でしょう。これによって、それ以上のロスを食い止めることができます。そして、これから先の社会=「すでに起こったポストパンデミックの未来」に焦点を合わせて、「事業そのもの」や「事業のやり方」を変えるイノベーションに取り組むことをが、今なされるべきことです。これは、大切な仕事です。物事を変えるのは、変えられる体力があるうちにしなくてはなりません。もし今、「そんな悠長なことを言っている場合ではないだろう」と感じたならば、変えられる体力がなくなりつつある印ですから、すでに「体系的廃業」や「イノベーション」の最適なタイミングは過ぎつつあり、手遅れになりつつある可能性があります。待ったなしで「体系的廃業」と「イノベーション」の仕事に取り組むべきです。自らの事業について、「今日からこの事業をやり始めるだろうか。このやり方で始めるだろうか?」と問うて、自らの「これまで」を断つことです。「なんとかしてこれまで通りに事業や生活を続けよう」とする限り、パンデミックの終息になかなか至らず長引く結果となり、ますます事業や生活が困窮することになります。


新たな現実

COVID-19により、またたく間に社会は変化しました。その多くは2002年のドラッカー著:ネクスト・ソサエティにも書かれていないことです。

海外渡航を前提としたグローバル社会の営みはたった数週間で消失しました。飛行機と自動車からの排気ガスが減ったためか、東京の空気が高原のように澄んできているように感じられます。ビジネスでは、名刺交換も会議室に集う会議も消失しました。タッチボタンで操作するような、接触を前提としたインフラ機器は、接触感染の経路になる「リスクの高いもの」として避けたいものになりました。
在宅勤務で業務をこなすことができるようになったビジネスパーソンは、果たして満員電車でこれからも通勤をするでしょうか。したいでしょうか。

家から一歩も出ない生活になって、人々のプライオリティーや購買するもの、購買する方法が変わってきました。テレワークで眼精疲労が深刻化して大画面が必要になり、4Kディスプレイは品薄になっています。屋内レジャー用品がよく売れており、イエナカ経済が台頭してきています。在宅時間が増えてテレビが復権してきています。日本人の中には、ここしばらく靴を履いていない人もいるかもしれません。このような変化により、想定外の成功をおさめている企業・事業も多いはずです。


さらに、人と人の関わり方、言語の使い方が変わってきました。ハイコンテキストといわれる阿吽の呼吸ベースの日本のコミュニケーションですが、テレワークでは、雰囲気や阿吽の呼吸は伝わらず、ローコンテキストにすべて言葉にして伝える必要があります。より高い言語化力が問われるようになってきています。


高い報酬が支払われるべき職業が変わってきました。緊急事態宣言下でも、店頭に立ってリスクの高い不特定多数の人と触れなくてはならない、食料品や生活必需品を扱う店舗のスタッフへの報酬は適切でしょうか。


近所の意味が変わりました。都会では向こう“三軒・両隣”の顔が再び見えるようになりました。外出をしない生活とウェブをつかった通信により、「数キロ先」と「地球の裏側」の差がなくなりました。遠くから人を呼ぶのがすごく簡単になりました。


また、いろいろと“不要不急”のことを削っていく中で、「本当に大切なものは何であるのか」に気づいた人も多く出てきています。


みんな自宅にいるならば、セレブも重役もそうでない人も至って平等です。さらにインターネット・SNSを通じて、すべての人に発信の機会が開かれているので、誰でも自宅から発信でき、その内容が良ければ大きな話題を呼ぶことができるでしょう。自宅からは、労働集約的・資本集約的に質の高いものを発信するのには限界があるので、既得権が弱くなります。新たな才能が世に出てくる可能性も高まります。


セルフマネジメント

外出自粛・事業の危機・コミュニケーションの不足などによる心の健康の問題もでてきています。心の健康を害すると、それに起因して生活や事業もさらにうまくいかなくなりますので、心の健康を保つ努力は非常に重要です。これには、「今、ここ」を大切にして、マインドフルな状態をいかに作るか、保つかということが重要になります。


在宅勤務になっている方であれば、物理的な組織の支えも組織の強制力もなくなりますから、自分のことを理解し、自らの望む未来を意図し、自らを支えていくことが、鍵となります。


強度のストレスに晒され続け、それが滞留すると疲れや不安が継続し、体調不良や「うつ」につながるといいます。ですから、COVID-19についての報道を一日中視聴するのは良くありません。この報道には、ストレスの原因となる、病と死と恐怖と生活苦の話題が入ります。その日に知っておくべき最小限の情報を入手したら、あとは情報を断つことも大切です。


ストレスが過ぎた時には、グラウンディングという方法をとって、心身を整えると良いといいます。いくつか方法はあるようですが、仰向けに寝転がって、地面に下から支えられていることを感じる方法を私はやっています。


鍵は、いかに自分のニュートラル状態が保てているかです。心を病んだ場合やパニックに陥った場合、人はロジックに反した行動をとるといいます。3.11の時の大川小学校の悲劇は、パニックによる判断力の消失が招いたといわれています。十分に逃げる時間も場所もあったのに、津波の犠牲になる方向で現実の行動が起こったという悲劇です。今、道端で集って長々と井戸端会議をしている人々、集団でマスクもせずに汗いっぱいにランニングをしている人々を見ると、大川小学校の悲劇に似た、判断力の消失が透けて見えます。この感染症を止めるためにやるべきとされていることと逆のことをやっているのです。大川小学校の方々とは、与えられた時間の猶予が違うだけで、命に関わることの判断が機能していないという点では、同じだと思います。


貢献を軸に行動し、未来を拓く

感染症は社会のつながりとともにあります。よって社会全体で取り組まなければならないものであり、一時的には、社会が組織のように動くと効果的に制御できます。「個人の自由がかえって不自由を助長する」というパラドックスに抗するために、組織的な取組がここでは必要とされます。その組織で「チェンジエージェント」としてどうあるべきかを考え、行動に移して、成果をあげたいところです。「組織全体の思考態度を成果が上がるようにすべき」時が今だと考えます。経済が大切であればこそ、取り組むべきは経済施策よりもまず、感染症への対策です。

私は、勤務先とそのグループ企業を通じて、COVID-19の最前線にお役に立てるものを届けることに取り組みました。現在の法律では、感染症について明言できないのですが、お届けしたものが感染症対策として意味のあるものなのは確かでした。勤務先のレピュテーションや企業ブランドに大きな悪影響を与えかねない取り組みでしたので、何度か反対にあいましたが、ドラッカー教授の教えに沿って、「正しいこと」を行うという思考軸をぶらさなかった結果、成果をあげることができました。今では、CEOも、社会貢献の一環として、このことを話しているそうです。そして、正しいことを行えば、その価値は、やがて経済的なものにも移ってゆきます。CSVの精神の本質がここにあります。

ドラッカー教授は、「目の前に立ち現れている事象が、歴史上の何と同じであるか」を常に問うていました。それによって、今後何が起こるかが想定され、我々はそれに立ち向かう準備ができるというのです。ドラッカー教授が、「同じ」として例に挙げるのは、少し突飛なものでした。例えば、21世紀の「インターネット」や「amazon.com」は、15世記の「グーテンベルグの活版印刷」や19世紀の「大陸横断鉄道」と「同じ」であると本質を捉えて、議論を展開しました。

COVID-19に対して、類似しているからと、スペイン風邪やSARS、MARSからの学びを活かすという議論が多くなされていますが、我々ドラッカーに学んだ学生は、視野を広げて少し趣の違うものに打開策のヒントを得るのも良いかもしれません。本質を捉える観察力・思考力が求められています。

未来はオープンです。決まっているのではありません。未来は、我々の今の行動によって少しベクトルが変わりその上で連続的に変化していきます。「未来を予想する一番良い方法は未来を作ること」とドラッカー教授はいつも語っていました。大変な状況ではありますが、敢えてこのCOVID-19をポジティブに捉え、良い方の未来をともに築いてゆきませんか。

良い方の未来が拓け、この文章の内容の多くが早く過去のものとなることを心から願っています。


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