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「サンタモニカの悪魔」と繋がった話と、悪魔についての考察 【神秘体験】

こんばんわ☺️
今日は深夜の更新になります。

最近、正義とは?悪とは?
悪魔と呼ばれる存在って一体何?
これらをテーマに思考を巡らせる機会に恵まれている私です。
(大真面目です!😂笑)

陰が極まって陽に転ずるこのタイミングで
これだけ悪や悪魔について真剣に向き合う時間に恵まれている事を
偶然とはとても思えず、今日は深夜ではありますが思考整理も兼ねてnoteを更新してみます☺️✨

⚠️以下、自身が体験した神秘体験をもとに悪魔についての考察を記しています⚠️
大真面目に語っておりますが、科学的根拠もなければ殆ど独り言に近い内容ですので、内容を鵜呑みにせずあくまでもファンタジー感覚でお楽しみくださいませ😁)

悪魔の種を持って生まれた人類

最近、悪とは?悪魔とは?
私たちが本能的に畏怖し、嫌悪する概念的存在について思考を巡らせた時、その度に実感する事があります。

それは、私たち人類は悪魔の種を携えてこの地球に降り立ったのだという事。

私たち人類は、たくさんの種を持って生まれたのではないかなと感じます。
その種は、ひとつひとつが属性づけられていて
それぞれが善や悪、光や闇といった側面、資質、特性を持っている。
そして、私たちはそれらの種が発芽し、開花したそれぞれの特性が色濃く反映されている状態を現実と呼ぶのでは?と、強く感じるのです。

例えば、善の属性を持つ種(大雑把に善の種といっても、それぞれ別の側面を持っていて、利他の心という善の種を持っていたとしても、その中には他を尊重する善の特性と、はたまた他を尊重するがあまり自己を蔑ろにしてしまう自己犠牲という悪の特性が含まれていたり…善の中に悪が在り、また悪の中に善があり…とても言葉では説明できないほどにあらゆる要素が複雑に絡みついている)が多く開花している人は、やはり善の心が強く作用している、まさに善属性と呼べる人間性を持っているのでしょう。

そして、悪の属性を持つ種が多く開花している人は、一般的に反社会的な言動をとっていたり、自分や他人を傷つけたり、中には取り返しのつかない罪を犯す人もいるのだろうと思います。

私たち人類は、遺伝子というまさに魂の青写真とも呼べるような、神の設計図を携えてこの地球に今この時代、生きています。
その、魂の青写真、神の設計図にあらかじめ善の種と悪の種、そのどちらも組み込まれた状態でこの世に生まれたと考えたなら。

まだ幼い子どもが無邪気に虫を殺めたり、他人を傷つけるといった話を聞いた事がある方も多くいらっしゃると思います。
それはつまり、もともと持って生まれた悪の種が、その子の場合は幼い子どもの状態で開花した。
そして、子どもは私たち大人のように一般常識という偏見には染まりきっていない純粋な存在である。
だからこそ、幼い子どもは無邪気に虫を殺せるし、無邪気におもちゃを壊せるし、時に無邪気に他人を傷つけられる。

思春期に反社会的な言動をとる少年・少女は、たまたまそのタイミングで悪の種が開花したに過ぎず、けれど思春期を迎えた少年・少女は私たち大人と同じくらい、あるいはそれ以上に一般常識という偏見のコレクションを敏感に感じ取り、けれど幼さゆえに反発してしまう。

ある程度の年齢を重ねた大人が、一般的に悪とされる言動をとった事も、たまたまそのタイミングで悪の種が開花したに過ぎず、
けれど、幼い子どもや思春期の少年・少女よりも遥かに一般常識という偏見、価値観の檻に囚われ切った私たちは、悪とされる言動を畏怖し、嫌悪し、排除しようとする。

誰もが悪魔になり得る要素を生まれながらに持っていて、悪魔の要素である悪魔の種がいつ開花して、いつ、善の種よりも優位に立つのか…きっと、人それぞれ個人差があるのだろうと思います。
その悪魔の種が開花するのに、遅いも早いもなくて
もともと持っていた、まるで時限爆弾のような悪魔の種が、なんらかのタイミングで、なんらかのキッカケで作動してしまった時、人は悪の道に走るのかも知れない。

私たちはきっと、誰もが悪魔になりうる要素を持っている。
私はどうしてか、そんな事を強く思うのです。

悪魔の種=私たち人類が共通して持っている悪性?

悪魔とは?

端的に言うと、私は一度、悪魔と呼ばれる存在と一瞬だけ繋がったことがあります😂笑笑(何度も申し上げますが、これでも大真面目です!笑)

念の為に記しておきますが、私は特定の宗教団体に属しているわけではありません😅(何故なら、人間の作り出した宗教という仕組みが肌に合わないからです。私は信仰心を持ってはいますが、私の信仰心は既存の宗教団体や人間が作り出した神を信仰するものではありませんので悪しからず。)

以下、私が悪魔と(一瞬だけ)繋がった時のエピソードになります。

神秘体験!「サンタモニカの悪魔」と繋がった話

あれは今年の正月のことでした。

私は家族と実家で過ごしており、美味しい料理を食べて美味しいお酒を飲み、極めて幸せな時間を過ごしていました。
けれど、家族が皆テレビに夢中になっており、私は暇を持て余すようになっていました。
そこに不満はないけれど、なんとなく手持ち無沙汰だったのです。
そこで私は、「暇だから」という極めて安直な理由で神聖な存在と繋がろうと瞑想を始めました。

思いのほかすんなりと瞑想状態に入れた私は、仮に精神世界と呼ばれる意識の中でとても神聖な存在を見つけました。
その存在は、例えるならとても人懐っこく…手招きをするように私と繋がる事を許可してくれたのです。

けれど、私はその直後(と言っても、意識の世界に時間軸は存在していないので、正確にはその神聖な存在と繋がった瞬間)、己の軽率な行動を後悔する事になりました。

人懐っこく、神聖な存在だと思い込んでいたその存在は、私と意識が繋がった瞬間、その神聖な仮面を剥ぎ取りました。

私は「やばい、悪魔だ」と本能的に悟りました。

まるで底なしの闇、まさに深淵とも呼べる存在が私の意識と完全に繋がってしまい、私は感じた事のない恐怖に逃げる事もできませんでした。
その瞬間には、もう私は殆ど囚われていたのです。

私が「悪魔だ」と本能的に思った存在について、以下は「彼」と呼ぶ事にします。

※「彼」のことを思い出すと、今でもこの意識が持っていかれそうになってしまうので、その自衛策として「彼」と曖昧な敬称で呼んでいます。※

彼は、まるで善人のように、そして神聖な存在のように私を呼び寄せ、けれども実態は完全なる闇そのものでした。
その闇には私たち人類が犯して来たあらゆる悪行がすべて記録されているようで、本当に怖かった。
それは、喉元に切っ先を突きつけられているような恐怖…そのさらにその上をゆくような形容のし難い恐怖でした。

「彼」は私に自己紹介をしてきました。
「オレはサンタモニカの悪魔だ」と。

もちろん、わざわざ私に理解できるような日本語で、私に馴染みのある口調で名乗ってくれたわけではありません。
言葉を聞いてから相手の言葉の意味を脳内で理解して、そして適切な応対をする…というのはこの三次元世界(地球)特有のコミュニケーション方法です。
※意識の世界では一瞬ですべてが完結しています。

一瞬(という言葉さえも不適当に思えるほどの一瞬)のうちに私は「彼」に正体を明かされ、そしてその瞬間にその意味を悟っていたのです。

正直、それまでの私は「サンタモニカ」という言葉にも馴染みがありませんでした。(それが名前なのか地名なのかモノの名前なのか人物名なのかも定かではありませんでした😅)
そして、「彼」からかろうじて逃げ切ったその随分と後に、やっとの思いで調べてみて、初めて「彼」の言う「サンタモニカ」が地名だという事を知ったくらいでした。

はじめ、「彼」はとても人懐っこい神聖な存在の姿(といっても実体はない)をしていました。
そして、私が彼の元へ歩み寄った(と言っても、精神世界の出来事なので、歩いて、近寄った、という三次元的移動方法ではない)。
彼と私が繋がった瞬間、彼は私に馴染みのある姿に変化しました。
その姿は、まさに外国人、それも幼い少年の姿をしていました。だから私は彼を「彼」と形容しているのです。今思えば、私の警戒心を根こそぎ奪う算段だったのかも知れません😅…なんとなくですが😅💦

幼く、そしてあどけない美少年面した彼は、一瞬でその仮面を剥ぎ取りました。
気づいた時にはもう遅くて、私は一瞬のうちに、例えるならば
何もないのに悪意だけが満ちている、そんなに囚われていたのです。

彼は、私の言葉で翻訳するならばこう言っていました。

踏みつけるのが好きだ。楽しいから。」
「苦痛を与えるのが好きだ。楽しいから。」
「悲鳴を聞くのが好きだ。楽しいから。」

例えるならば、このようなニュアンスのことを繰り返し叫んでいました。

「そんなのはおかしい。」
「それはいけないことだ。」

彼は、そんな私の思考を先読みしてこう言い放ちます。

「どうしてだ?楽しいのに!」
「楽しいから楽しいんだ!」

…まるで会話にならない。
そしてその瞬間に悟ったのです。

善悪の定義は、私たち人間が私たち人間の目線で人間の社会を成立させるために私たち人間が私たち人間のために敷いたもの。
私たちにとっては悪でも、違う存在からしたら違うんだ。だから会話にならないし、理解し合うとか、どちらかが譲歩することも不可能なんだと。

私たちが、空腹になったら食事を摂るのと同じように
私たちが眠くなったら寝るのと同じように
私たちが疲れたら一休みするのと同じように
彼は、楽しいから踏みつけるし
彼は、楽しいから苦痛を与えるし
彼は、楽しいから楽しいんだ。

まったくもって理解できない存在。
まったくもって異質な存在。
理解できない、異質な存在だから畏怖し、嫌悪する。

けれど、同時にこんなことも悟ってしまったのです。

まったくもって理解できない彼が、まったきもって異質な存在である彼が、畏怖し、嫌悪の対象である彼が、私たち人類の中にも存在していることを。

それが、一章で述べた悪魔の種、そのものだったのです。

出典は私。笑

悪魔の種=私たち人類が共通して持っている悪性(?)

彼(悪魔)=私たち人類が持っている悪魔の種そのもの(?)

まとめ

結局、私は彼から逃れることに成功して、今この瞬間も現実世界を生きています☺️
その時、逃れられた理由については以下に述べたことが幸いだったのかなと感じました。

「彼」に飲み込まれそうになった私が無事に現実世界に戻って来られた理由・要因の考察

・自分がどこから来て、自分が何者かを思い出せたこと
彼と繋がっているうち、私は自分という存在がどんどん薄れていくような感覚に襲われました。
例えるなら千と千尋の神隠しで主人公の千尋が自分の名前を忘れてしまったような感覚が近いと思います。
彼という闇は本当に引きが強くて、ブラックホールに飲み込まれるってあんな感じなのかなと思うくらいです💦

・明確にキャンセルできたこと
自分がどこから来て、自分が何者かを思い出せた後、私は
「そうだ、今はお正月で私は実家にいたんだった。お母さんのベッドに寝転んで、瞑想を始めたんだった」
「私は愛梨だ!」
「私(愛梨)は現実の世界に帰るんだ!こんなの嫌だ!キャンセル!助けて天使さん!助けてご先祖様!」
…と、必死に叫んでいました😅
最後🔼のセリフは今になって見返すと、なんとも間抜けですが…😅笑
これが本当に大切なんだな、って今ならすごくわかります😅
(ちなみに明確にキャンセルをすることはあらゆる場面で活用できます✨)

悪魔は怖かった

実際は、怖かったなんて言葉では表せられないほどの恐怖でした😅

理解できないから怖い

人間が心霊現象を怖がるのと少し似ている気もする
理解できないモノ・得体の知れないモノを恐怖し、嫌悪するのは人間にとって自然なこと。そして、その特性(防衛本能)があってこそ今があることも事実。

異質だから怖い
理解できないから怖いと少しニュアンスは似ています。
言語の通じない相手に恐怖を抱くのと似ている。
自分の価値観が通用しない相手や場所に恐怖を抱くのもまた同じ。

一瞬で飲み込まれそうになるほど引きが強いから怖い
きっとこれは、悪魔は私たち人類の中に在るんだ、ということを裏付ける証拠になりうる。どうしてか私はそれを強く実感しています。
(言語化するのは難しいですが…すみません、こればかりは直感的にそう思うのです😅)

私たち人類にあらかじめ組み込まれた、悪魔の種。
それが開花する人もいれば、きっと開花しないまま人間としての生を終えてゆく魂もあるのでしょう。
そして、悪魔の種はいつ、どの場所でどのタイミングで開花するかわからない。
そもそも開花するかもわからないし、開花のタイミングに遅いも早いもないのでしょう。

また、悪意・悪性といった悪魔の種にも
「貪食」、「淫蕩」、「金銭欲」、「悲嘆や心痛」、「怒り」、「虚栄心(自惚れ)」、「傲慢」など…それぞれが複雑に枝分かれしている。

悪魔=私たち人間があらかじめ持って生まれた悪性の集合体?概念の総称?

いくつもの悪性が組み合わさった集合体なのか、
そもそもひとつの悪性だったのか…そこは私にはわかりません。

ただひとつ、私が確信していること。
それは、悪魔の種という私たち人類が共通して持っている悪性が開花すれば、私たちもたちまち悪魔(の一部?)になり得るのだということ。

だからこそ、怖かったのかも知れません。
自分もいつそうなってしまうかわからないから。

悪魔の種を持っていること、それはすなわち人類も悪魔の一部であることを本能的に感じてしまったから。察して、悟ってしまったから。

私たち、まさに表裏一体の関係性で。
善性という表(仮にAとする)の裏には悪性という裏(仮にBとする)があって、けれども悪性という裏(B)のさらに表はAではなく、まったくの別モノ

…つまり、もう何者かもわからない領域(仮にXとする)がそこに存在している。

悪魔の種が開花し、悪魔の種に自分の主導権を握られれば、私たちもたちまち悪魔になってしまう。
けれど、もともと私たちは悪魔の側面も持っていて…

例えるならば、AでありBでありCでありXでもあり…みたいな感じ(もう何が何やら😂)

言語にすると脳が溶けそうなくらいに混乱してしまいます!笑💦

だからこそ、私たちは日々を真摯に丁寧に生きてゆく必要があるのだろうな、と思います。
もともと持っている悪魔の種。すでに自分自身の一部である悪魔の種。
私という自己を確立するひとつの要素である悪魔の種。

私の魂に刻まれた悪意・悪性。
それらに水をやらないよう、生きてゆくことの大切さ。


もともと自分の一部なのだとしたら、そこだけを切り取って捨てることなどできないから…だからこそ、悪魔の種を、種のままで終わらせる。(まるで供養のようだ。)

「貪食」、「淫蕩」、「金銭欲」、「悲嘆や心痛」、「怒り」、「虚栄心(自惚れ)」、「傲慢」といった、悪魔の種が好む養分を与えずに生きてゆくため。

日々を真摯に、丁寧に
すべての物事・存在・現象に できる限り誠実に

種のまま終わった「彼」を抱いて 死んでゆけるように。


今日は、自分の実体験をもとに悪魔についてお話してみました。

いつも以上に言葉を厳選しました😅
そして、いつも以上に苦労して表現しました…💦笑
伝えることの難しさを再認識するとともに、これからも表現方法を練磨してゆきたいとも思います✨✨

ここまで読んでいただきありがとうございました☺️


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