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「表現とこころ賞」ピックアップ10選

「表現とこころ賞」に投稿していただいた全ての方々と作品に感謝いたします。全作品は以下のマガジンで読むことが出来ます。

その中の一部だけになってしまいますが、
この記事では10作品をピックアップしてご紹介させて頂きます。

◇海の上の観覧車/ぴぴぷるさん

小説です。読んでいて、自然と情景が浮かびました。
情景を浮かばせているのは書き手の表現でもあり、読み手の私の心でもあるのでしょう。
私にとっての“カモメ“は誰だろう、なんだろう。
たまたまかもしれませんが、投稿時刻が23時59分であることに目が留まってしまいました。
それは日付が変わる直前。過去から続く今日という日を精一杯生きて、悩んで。それでも明日、劇的に何かが変わるわけではない。
でもそれを収めて、また“今日”を迎える。その切なさと静かな望み。
深読みしすぎかもしれませんがそんなテーマまで考えてしまいました。

◇伝えること、受けとめること。/siv@xxxxさん

“...の言葉は、みやげ物でぱんぱんになったキャリーバッグよりも、ずっと重かった。”(本文より)
8年前のあの時の、複雑な気持ちを語って下さいました。
想いを送受する態度と意味を考えさせられるエピソードでした。
ずっと書きたかったけどまだ書けていない過去の出来事って、私にもたくさんあります。中には表現すべきか迷う事、誰にも言えないような事もあって。心のひっかかりを少しずつ、順番に、溶かしていく。
表現にはそういう効用もあるのかもしれないです。
“「表現とこころ」この言葉を見かけて、決めた。”(本文より)
読ませてもらえて、嬉しかったです。

◇noteにより『大海を知る』喜び/たけのこさん

自分にとって、noteは○○○のような場所。
人によって○○○に入る言葉は違う。また、時と場合によっても違うのかもしれません。私自身、まだnoteを始めてから半年も経っていませんが、
とにかく面白いなと感じています。ワクワクします。
でも、本作にも出てくるように、私も打ちのめされるほどの素晴らしい表現に出会って、落ち込むことがあります。その裏側には何かプライドや欲求があるのかもしれませんが、私はまだうまく言語化できません。
“noteというのはライバルと師が同時にいるような環境だ。”(本文より)
私もライバルや師を見つけたいなぁ。そして、誰かからライバルや師と思われる未来を歩みたいなぁ、なんて思いました。

◇僕が「音楽」と「映画」を「言葉」にして綴る理由/松本 侃士さん

作品について語ることは、対象を語っているようでいて実は“観る・感じる”主体としての私を意識することになります。これは今回いろんな作品に触れさせてもらったことで強く感じたことでもあります。
私も映画や音楽が好きで、感想を書いたnoteも過去にあるのですが、
どこかで“自分よりもっと詳しい人いるのにうまく書けるかなぁ”とか“にわかだと思われるの怖いなぁ”とか思っちゃってる自分が未だにいます。
でも、知識や客観性以外のところにこそ、ありありとした体験の様が浮かび上がってくることってあるんですよね。
“それでも僕は、その体験を「言葉」にして語ることには、いつの時代にも大きな可能性があると信じています。”(本文より)
なんだか、私はこの記事を読んで勇気を貰えました。
あぁ、映画が観たい。書きたい。書くぞ。

◇キムタクのイイブン/イイブンシンブンさん

このnote好きなんです。
ネタバレになっちゃいますが夢の話が出てきます。
私もたまに有名人とか会ったことのない人が夢に出てくることがあるのですが、何かしらの象徴として心の中で生きているのかもしれません。
夢って面白いなあ。現実と反対のことが夢の中で体験されたり、
なぜか高校時代に戻っていたりとか。
実は一時期、夢日記を毎日つけていたことがあって、
最近も、印象的な夢だけ記録するようにしてます。
無意識からのメッセージは、たまに現実へのヒントになる気がしています。

◇流れるときをピンでとめる/ことふりさん

“ときをピンでとめる”って凄く良い表現だなぁと。
腹を抱えて笑った日も、悔しくて眠れなかった日も、
止まってくれることのない時間の流れが過去へと連れていってしまう。
そういえばこの前、旧友と久しぶりに会って昔の話をしたのですが、
「懐かしいなそれ」と言ったり「そんなことあったっけ(笑)」と言ったり。
記憶から消えたように思える出来事も、本当は意識の奥底に残っていて、
五感がトリガーになって急に思い出されることもあります。
“いつか振り返りたくなるときのために”(本文より)
このコンテストで得た体験も、いつか振り返りたくなるときのために、
いま私は一生懸命、言語化しているのかもしれないなぁ、と思います。

◇手をのばしたら、触れる距離でいたい。/西谷こまいさん

全体的に、穏やかな雰囲気を感じながら読ませてもらっていたのですが、
ハッとする箇所がありました。
“表現とか、こころとか。ぼんやりとしていたイメージと自分との関係は、三角形で手を繋いでいるようなイメージだった。”(本文より)
「表現」と「こころ」と「自分」の関係をそんなふうに考えたことありませんでした。そしてその関係性を媒介している言葉たち。
このnoteを読んで、イメージが広がったような気がしたのと、
書くという方法があってよかった、と改めて感じることが出来ました。

◇言葉が使い物にならない時 /あゆみ|ひかりのいしむろ さん

心が動かされた詩です。それは誤解を恐れずに言えば、
読んだ当時に私の頭の中にも同じような言葉が漂っていたからなのではないかと思います。
特に誰に見せるつもりもなかった過去の無数のつぶやきが、
今になって自分を呼んでくることがあります。
あの時しっかり向き合わなくてごめんねとか言いながら、
ぴったりくる感覚を捕まえて、手放して、統合して。
言葉に綴じて、いつか着地させてあげたい想いが、
私の深い部分にも残っています。

◇心(こころ)とか、メンタライジングとか、進化心理学とか、その辺りの話 / 琴花酒さん

“いやいや、梟さん。
「“表現”や“こころ”と聞いて あなたが表現するものは?」とか聞かれてもだ、いやまいった、ホント難しいこと聞いてくるな~と思ったのだ。”(本文より)
すいませんでした(笑)でも書いて下さって、めっちゃ嬉しかったです。
心理学には、私がいま学んでいる臨床心理学を含めて、社会心理学だとか認知心理学だとか発達心理学だとか犯罪心理学だとか…とにかく様々なジャンル・アプローチがあるのですが、進化心理学という分野があるというのを全然知りませんでした。
ヒトは長い歴史の中でどのように環境に適応してきたのかという観点から考えるのもスケールが大きくて楽しいなぁ。個人的には、“分析と共感は同時に出来ない”という箇所にビビッときました。自分は最近、人の話を聴くときも文章を読むときも、二つのモードを使い分けてるような気がします。

◇ohana / ki_nyaさん

素敵なイラストでの参加もあって、嬉しく思いました。
ちなみに今書いているこの記事のヘッダー画像は、
みんなのフォトギャラリーから、ki_nyaさんのイラストを使用させていただきました!和みます。
水彩の、混ざり合ったり溶け合ったり濃淡があったりするところって、
「こころ」の曖昧さにも似ているなぁ、なんて思ったりもします。


「表現とこころ賞」受賞作↓

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