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ことばを集めて新聞記者になった話(6)

「おまえはその後の人生をずっと、自分は運命を探求しなかった、もうそうするには遅すぎると思って、暮すだろう」

パウロ・コエーリョ「アルケミスト」

地方勤務を終えて東京で働き始めた。

自由に書き続けていた記者生活は、とたんに官僚的な色彩を帯びていく。失敗は許されなくなり、仕事は「作るもの」から「指示されるもの」へと比重が移っていった。

「人生は、間違えられるからこそ素晴らしいんだ。だから、おまえは、もっともっと間違えていい。もっともっと、間違えたっていいんだぞ」

秦建日子「ザーッと降って、からりと晴れて」

取材も、書くことも好きだった。好きだからこそ、降りかかってくる仕事と、自分が書きたい仕事のバランスをとることが、難しくなった。

いろいろな人が、いろいろな話をしてくれた。時には新聞で取り上げられることを期待して。時には親密さの証として。もう習い性になっていたから、話を聞いたら、すぐに書きたかった。でも、自分がいる場所は、もはや人手が足りない地方ではない。一級品の記者がひしめく東京だった。「書けば載る」という甘い環境ではない。

一か所に留まるな。自分の弾が最後だと思うな。そして……。賢いのが自分だけだと思うな。

逢坂冬馬「同志少女よ、敵を撃て」

若い記者は、頭角を表すことが期待された。そのためには、地方勤務の頃を上回る貢献をしなければいけない。時間を惜しげもなく費やし、労を厭わず、健康を省みずーーそんな献身で報道は成り立っていた。

ところが僕の関心はそこではなかった。明日には公になる秘密を追いかけるよりも、書く時間がもっとほしかった。書いて書いて書きまくって、もう書くことがなくなった後に、自分がなにを書き始めるのか知りたかった。

休暇に、軽井沢に旅行をした。山から吹き下ろす冷たい風を体いっぱいに受け止めていたら、最初の地方で過ごした日々が思い出された。地方時代、職人にインタビューをしたことがあった。彼らは最高のものを作ることに人生を賭けていて、忙しさを誇ることはしなかった。

少年は風の自由さをうらやましく思った。そして自分も同じ自由を手に入れることができるはずだと思った。

「アルケミスト」

自分の東京での暮らしを振り返った。「書かなくてはいけないもの」は分刻みで積み上がってゆく。もともとマイペースな自分からすれば、それはある種の戦争みたいに忙しかった。

「書きたいもの」を探る時間を確保することは困難で、それを書くことはさらに難しかった。あるいは、人の指示を無視できる強さがあればよかったのかもしれない。しかし、それはできそうもなかった。できるわけがない。上司から時おり降りかかる無茶振りにいかに応えられるか、何年間も、その能力を証明し続けることで、評価を得てきたのだから。

つまり僕が記者を続けるということは、この生活をあと何十年も続ける以外に道がなかった。少なくとも、当時の僕にはそうとしか思えなかった。

戦争は人が持っている時間を潰してしまいます。貴重な時間を。戦争で何よりもったいなかったのは時間です。

アレクシェーヴィチ「戦争は女の顔をしていない」

そこまで考えて、僕は、ここで働き続けることは多分無理だろうと悟った。誰も悪くなかった。ひとえに、この組織で働き続ける適性を、自分が持てなかっただけだった。

言葉を集める過程で、僕が迷ったときにいつも読んでいる本があった。パウロ・コエーリョの「アルケミスト」。薄くて、すぐに読み終えられる。しかし自分を問い直すためのメッセージがたくさん込められた、すぐれた小説だ。

東京に来てから、本を読むペースはめっきり落ちた。結婚したこともあり生活が大きく変容していて、自分の暮らしのはずなのに、ふるい落とされそうで、必死にしがみついていた。

でも、もう限界を認めてもいいのかもしれないーー。僕はもう一度、学生に戻ったような気持ちで、小説を読み始めた。そこに救いを期待して。

「世界最大のうそって何ですか?」と、すっかり驚いて、少年は聞いた。
「それはこうじゃ。人は人生のある時点で、自分に起こってくることをコントロールできなくなり、宿命によって人生を支配されてしまうということだ。それが世界最大のうそじゃよ」

「アルケミスト」

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